2008年03月31日

サッカー(見)な週末

アーセナル強かった。
首位ユナイテッドと勝ち点差6の3位、残り7試合。
ユナイテッド非常に強いのでここ落とすとほぼ終わりのボルトン戦、
0-2とリードされしかも1人退場して10人、
ああもう魅力的なヤング・ガナーズの今季も終わりか、
チャンピオンズリーグがんばりましょうか、
ってところから3点叩き込んで大逆転ですよ。
まさにヴェンゲル・マジックで、
4-2-2-2から左オフェンシブハーフ退場、
4-2-1(右)-2になってバランス悪化、
そこを狙われてボルトンの早い出足にボールを奪われてた所を、
すかさず、4-2-2-1(4-2-3)にして
トップを空中戦に強いベントナーからポストできるアデバヨールに代え、
オフェンシブハーフ2人を右にウォルコット左にフレブを張らせて
その3人にぼっこんぼっこんパス散らす。
振り回されるディフェンス陣、
で、サイド2人は持ったら縦へ突破を試みて
真ん中ハーフ2人が上がる時間を稼ぐと共に
意識をサイドへ持ってこさせる。
中央が薄くなる、
そこでペナルティエリアへ続々侵入してシュートを撃つ。
いやもう、
選手交代はこうなさいというお手本というか、
あまりに策がハマりすぎてておかしかったです。
サイドがヤバイ、と人数を増やして守りを固めると、
アーセナルの真ん中2人、
セスクとフラミニがこれまた攻撃力があるので、
ゴリゴリ前へ出る。
3点目のシュートはそのセスクで、
確かペナルティエリアの中から撃ってる。
もうあれだけ前後できると
「ディフェンシブハーフ」とか「中盤底」
あるいは「ボランチ」とさえ呼びにくい。
やっぱり「センターハーフ」「セントラルミッドフィルダー」かなぁ。

ボルトンもいいとこまで追い詰めたんですけどね〜。
やっぱり3位CLベスト8と18位との差、
といいますか。
強者に「違うやり方もある」と繰り出された時に、
ピッチもベンチも対応できないんですね。
同点に追いつかれた時だっけかな、
逃げ切り計って、アーセナルを苦しめていた
曲者オフェンシブハーフを下ろして、
守備の人入れたんです。
んなことすればアーセナルの思うつぼですよ。
攻撃は最大の防御なりとよく言いますが、
優秀なチームは相手の攻撃圧力減ると好き勝手やりはじめるので、
それを守りきるのは並大抵のことではない。
まぁしかし気持ちは非常によくわかる。
降格争ってる時は勝ち点1が喉から手が出るほど欲しいですからな。

ユナイテッドがめっちゃ強いので
(今節も決して弱くないアストン・ヴィラを4-0で粉砕)
リーグは正直しんどいと思いますが、
CLはわからんよ。
CLにやたら強いリヴァプールを落とせれば、
ひょっとしたら今年獲れるかもしれない。
念願の。
ユナイテッドもCL残ってるんですけど、
今ピーク来ちゃってるので、
決勝まではコンディションもたんと思う。
アーセナルは底を打ってここからもっかい上げていく感じね。
しかしCLは勢いも大事ですが
「負けない」ことも大事で、
その面ではチェルシーも捨てがたい。
あと有力候補はバルサですが、
バルサも攻めのチームなので、今ちょっと調子下降線、
足元すくわれそうな気がします。

しかしあれですな、
CL8強にプレミア勢が4チーム残ってるんですけど、
(残りはフェネル(トルコ)、ローマ(イタリア)、
 シャルケ(ドイツ)、バルサ(スペイン))
世の中現金というか、
お金流れてるリーグが強くなるんですなあ。
シティとかエヴァートンとか、
中位のチーム見てても結構な陣容で、
4強といえども簡単に勝てる相手ではない。
そこが中継見てても面白いところで、
NHKは露骨に人気のある4強中心に中継回してるんですけど、
18位との対戦がフツーに面白いんですね。
ワンサイドで叩くんではなく、
勝ち方に理屈と理由があるので、
これまた面白い。
弱い方も決して最後まで諦めないしね。

翌日Jの試合を観て、
違う点といえば、
一つ一つのプレーの正確性、
というとても基本的なところと、
あとは
攻守の切り替えが早すぎるというか頻繁すぎるというか、
「取られたら取り返せ」が教条化しすぎてて、
いつでも全力疾走。
でもそんな理想が90分続くはずもない。
だからココが肝心、というところでボロッと穴が開く。
そのへんがトップリーグとまだまだこれからのリーグの
差かなぁ、と思います。
もちろんその、
「走るべき時に走る」
オシムさん流に言えば
「考えて走る」のが、
一番難しいんだろうな、とは思いますけれども。

強くなっていくために必要なことは、
上へ積んでいくことではなく、
基本的なことをさらにピシッとできるようになりつつ、
全体を俯瞰していつどこでどういう力の入れ方をするか、
そこを見極める能力をつけることなのかなぁ、
と思いました。
難しいことをやれるようになるのではないし、
一生懸命なんて、誰だってそうだ。
posted by ながたさん at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月30日

ブチ抜けー!

じゃ「満足」の逆はなんだろう、
と考えますと、
あの、崖をよじ登ってパッと顔を出した時のような感じ、
あるいは、サッカーのシュートがゴールに決まったときの、
あの「ブチ抜けーーーー!!」っていう感じ、
あれが近いんじゃないかな、と思います。
困難というか障害というか、それを超える快感。

つまり快感には、
「やすらぐ快感」と「もりあがる快感」の
2種類がある。
(ゲームはたいてい後者を求めるものなので、
 前者の快感に変質してしまうと離れがちになる)
もちろん混ざってることも多いのですが。
温泉で卓球、とか。

で、人間には両方必要なのかなぁ、と思います。
春の日和のようなのほほんとした時間も必要なら、
「チェストー!」「キィエエエエエ!」と燃える時間も。
交感神経と副交感神経がおたがい連携して
人間というのは生きておりましてですね。
どっちかだけだと、たぶんバランスが悪いのです。

古来人間はスポーツとその観戦をやってますが、
あれものすごい「無駄」なことですよね。
でも、ずっと続く同じ日常にとって貴重な、
「盛り上がる」時間である。
それが大切だったのではないかと。
お祭りもそうかな。

私もとてもバランスの悪い人間でして、
どっちかに偏ってることが多いです。
そんな時には、逆の方に思いを馳せ、バランスを取っていきたい。
今ちょっとおだやかさま方向なので、
小さくてもいいからいろいろチャレンジして、
殻を破っていきたいです。

手始めに「レンジでつくるスパゲッティ」という
プラ容器を398円で買ってきました。
今日はコイツでパスタを茹でてみます。
posted by ながたさん at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月29日

満足とは


確か晩年の北別府さんが雄々しくもすこし物哀しく投球中に、
それを確か稲尾さんと堀内さんだっけかな、
とにかく押しも押されぬ元・大投手二人が解説で、
「やっぱコントロールいいですねぇ」
「キャッチャーミットまで一本の糸が見えるんだよね」
「そうそう、すーっとその線に沿って飛んでくんですね」
「ま、それが見えるともう引退なんだけど」
「「わはは」」
というのが凄く印象に残っています。

「あっ、こういうことか」
というのがわかってしまいますと、
それはなんとなく一つの段階の終わりを意味します。
そこで離れることもありますし、
野球選手なら引退後も指導者として野球に関わることもあるでしょうし、
いや、そこからが本番でゴリゴリ稼ぐこともあるでしょう。

僕のFFにとってはAMラストのアレクサンダー戦が
たぶんそれでして、
前日に3戦トライして失敗、翌日構成を変えて再トライ、
の途中に、ほんとにふと
「あれっ? こういうこと?」
という、なんとも表現しづらい感覚がむくむくと立ち上がりまして、
その後はマッハなマクロさばき(当社比)で
見事(当社比)「黒魔ならこう動けアレク戦」という
たぶんお手本にできる戦いをやれて、クリアしました。
あの時僕のFFはたぶん一つの段階を終えてて、
その後も数ヶ月プレイは続けたのですが、
なんと言いましょうかそれは、
受験の発表が終わった後の高校生活みたいなもので、
ご褒美なおまけでした。

あれを満足というのかもしれませんし、
悟りというのかもしれません。
とにかくなにか、ステージが変わった気がしました。
見通しが付くようになったというか、
俯瞰でものが見れるようになったというか。
「飽き」や「飽和」とは明らかに違う感覚です。
「枯れた」ともちょっと違う。
悪い感じではありません。

ただ、ゲームの場合、
もともとがドキドキワクワクを得たいがためにやってる行為ですから、
そういう落ち着いた気持ちでできるようになってしまうと、
困ります(笑)
まったりしたいなら友達と電話したり、
録ってある「美の壺」の高橋美鈴アナの美声に酔いしれる方が、
よほどリラックスできるわけで。
「あらあら、谷さん?」
できるだけ長くプレイヤーを引きつけておきたい
ネトゲ最大の敵がたぶんこの感覚ですが、
しかし長くシステムを構築し続ければ、
どうしてもあるバランスに収束していきますから、
その感覚を得てしまうチャンスが大きくなっていきますな。
かといってバランスをガバッと崩すと、
ここぞとばかりに長年張り付いてるプレーヤーから脱落する気がするし。
難しいものです。

この話に特にオチはなく、
そういう感覚がありますねぇ、というだけの話です。
不思議な感覚です。
ちょうど死ぬ間際に人生についてこの感じになれれば、
しあわせな人生でしょうな。
「なすべきことはなした」てなもんで。

ながたはまだなん〜にも満足してませんぞ。
ガンバラネバ。
posted by ながたさん at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月28日

やりすぎるよりは足りないぐらいで

最近ちゃんと朝起きれてましてね。
まー私のことですからまたすぐ真夜型になるかもしれませんが、
6時間睡眠とかで割とスッキリ起きれています。
グリシンの力を借りずとも!
以前は朝起きて顔洗いに行くと
目の下にクマができてまして、
「あぁオレ疲れてるなぁ……」
でしたが、最近はそういうこともなく。
朝食も美味しく。

一番大きいのがね、たぶん寝具。
先日風邪を引いたときに取り替えた、と申しましたが、
その後も好調です。
ちょっと寒い日には毛布の下に敷いた電気毛布をスイッチオン。
こうすると温かさがかなり柔らかくなります。

その時もお話ししましたが、
ふっかふかのおふとんを求めてさまようよりは、
超センベイ安物マットレスの方が具合がよろしく、
「やりすぎるよりは足りないぐらいがいい」。
大久保利通卿も革命期の政策について
そんなようなことをおっしゃっておられて、
そんな感じがひしひしします。
食事も、腹八分目と申しますように、
「まだ入るけどな」で留めるのが一番気分いいですね。
生姜紅茶の石原先生も、
あれは「生姜紅茶がいい」のではなくて、
「現代人は食い過ぎ冷やし過ぎ」
だから朝食を生姜紅茶に代えることで
消化負担を減らし暖めろ、ということですな。

現代社会はなんにつけ、
簡単に「やりすぎる」ことができます。
いやむしろ食事と肥満の関係のように、
意識しないとやりすぎてる。
情報なんか特にそうでして、僕はもう
「TVは録ったものしか見ない、
 新聞は読まない」
と決めてるのですが、
(これはそのメディアが嫌いだからではなく、
 情報の絶対量を減らすためです)
それでもwebなどからザーザーと過剰に情報が雪崩れ込んできます。

岡本太郎画伯も
「人生は積みへらしだ」
とおっしゃっておられて、
一概には言えませんが、人生のどこかで、
「取りこんでいくこと」から
「減らしていくこと」に
切り替わるポイントがあるのかもしれません。
それは禁欲でも縮小均衡でもなく、
だいじなことに割く時間をちゃんと考えたら、
余計なことに時間割けないでしょ?
という感じ。

いやー、朝型って、つまりケツ決まってるんです。
夜型人間が朝型に切り替えられない一つの理由に
つまり勇気がなくて(笑)
夜始めると根性次第で後ろはいくらでも延ばせるわけですが、
朝始めると夜はもうエネルギー切れてます。
いや、ホントのところは結局どっちでも
同じぐらいの時間しか使えてないんですけど、
期限切られてるのとそうでないのとでは、
気分が全然違う。
僕は、そういう「時間決まってる」やり方が
苦手でもあり嫌いでもあったので、
なかなか踏ん切りが付かなかったのですが、
いざ本格的に取り組んでみると本当に時間がない。
(学生時代は体力があったから、
 朝起きても夜もエンドレスだったんです!)
「あれっ!?もう夕食!?」てな感じ。
時間無いなー、っていうのが最近の痛感。
blogに同人誌のテキストを貼る、
なんて簡単なことでさえ普通に半日使ってしまい、
うわわわわ、と一人で狼狽えています。

やらんでええことをやってませんか。
こんなとこ見んでええですよ(笑)
そこをポイポイすれば、
週15時間月で60時間ぐらいは
簡単に捻出できるような気がします。
たとえば、ですがそれを1年英会話に当てれば
たぶんぺらぺら。
ボディビルディングに使えば
たぶんムキムキ。
むしろ、無駄な時間、
たとえば喫茶店でぼーっとする、なんて時間は、
誰がどう見ても無駄だから、逆に害がないかも、
とさえ思います。

子供達が元気なのは興味あることしかやってないからで、
(だから塾通いを「させられてる」子は
 大人と同じように元気がない)
あれに近いところに、持っていきたいですね。
posted by ながたさん at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月27日

blogで小説

ちょいと実験的にblogで小説。
といっても「Miracles!」のしかも古い#1忍様ですけれども。
こちら。飾りも何もないですが。
http://domiracles.cocolog-nifty.com/blog/

なぜblogで、と言いますれば、
こないだふとSH904iでここ(ほえなが)を見てみたんです。
すると結構読めましてね〜。
ココログ側でケータイに適したスタイルに整形してくれるのと、
ケータイそのものの解像度や画面サイズが上がってるのが大きい。
それならば、見てくださる方にはケータイという閲覧手段をご提供できますし、
こちら的には整形とかレイアウトの手間が激減するので極めて楽。

……でも今現在僕のケータイからはなぜかつながらんのですが……

と、とにかくもうちょいこちょこちょ弄って、
見やすくしていきたいと思いまする。
ちょっと1エントリが長すぎるね。

それはそれとして、
これ04年11月つまり3年半ばかり前のなんですが、
いやー、恥ずかしいです。
なんていうかね、「配球」という概念が無いね。
一球目からずーっと全力投球という感じです。
(余談ですが桑田さんご苦労様。
 清原さんが言ったように、
 本当にかっこよかったですよ、
 あなたの野球人生)
これは読む方もしんどいわ。
いかんいかん。

しかし、「いかん」とわかる、
特にどこがいかんかわかる、
ということは、
自分の評価能力が上がってるということで、
それはすなわち作成能力にもつながります。
描きながらデキは常にチェックしてるわけですから。
と、前向きに考える。

あと、はるか昔に書いたような気もする。
今「あれ?たった3年半前?」という感じです。
それもいいことだと思う。
posted by ながたさん at 18:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月26日

大学時代の過ごし方

ヒロさんの合格祝い@天王寺。
お酒はまだダメとのことで博士と三人で焼肉など。
後ほどマンちゃんとのぶやさん加えてあれやこれやと。
まあ、これからが本番でござる。
大いにもがき楽しむがよい。

自分の失敗し果てたそれを思い起こしますに、
大学時代というのは、
それ以降の生活の、
主に職業を中心とした「軸」を見つけるのに
適した時間です。

「なんでも10年」と申しますが、
どんな仕事でもそこそこ格好の付くようになってくるには
10年近い歳月が必要でして、
会社を変わることはできても、
仕事そのものにはもうへばりついて
その時間を過ごすしかありません。

その点でたとえば非常に幸運にも
大学一年の時点で「これか!」みたいな方向が見えますれば、
それだけで就職時点で
そのことについてコミットした経験を4年も稼げており、
30前で一人前になれます。
これ楽よ。
30過ぎるとねぇ、体力無くなるんだ、体力が(笑)
それがきつい。
あと結婚とかにも絡んできますな。
28とかでなんとなく一人前だと、
「さて結婚もしますかね」という気分になって、
ちょうど良い。
僕なんかその頃まさに駆け出しでして、
いっちばん自信なくて、
とうてい、たとえいい縁があったとしても
(無かったんですけどね)
そんなことムリでした。

という具合に、
「これでいこう」が遅くなればなるほど
いろんなことがしんどくなってくる、
のが現代の社会構造です。
しかもこれでいこうを考え出せるのは、
受験終わってから、つまり18という
相当トウが立っちゃってる時期から、
ということで、時間的余裕が本当に無い。
しかしそれはもうしょうがないので、
幅広くトライ&エラーを繰り返して
方向性を導き出した方が、
人生が楽ですな。

まあ、焦らなくても、
いつからでもなんとでもなるもんですけど、
(伊能忠敬先生を見よ!)
そうすると楽なのは楽、ってことで。
失敗続きでも、「思う存分失敗した」というのは、
なかなか得られる経験ではありません。
posted by ながたさん at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月25日

捨てられない幸せ

今日は一日部屋に籠もって書き物でした。
不健康ですよ〜。
外はいい天気でねぇ。
彼岸過ぎるとホントに春ですなぁ。

家電回収車が回ってきたので、
「いいかげんこの壊れたTV捨てないとなぁ」
と思いつつ何気なくスイッチを入れたら、
点いた。
捨てられなくなりました。

僕が思いますに
TVコンテンツには2種類あって、
「意味さえわかればいいもの」と、
「質感まで楽しみたいもの」です。
で、僕の場合TVで楽しみたいものは全部後者でして、
(たとえ「ためしてガッテン」でも)
それは大型TVでデジタル放送で見たい。
となると、
それ以外のTVは要らなくなってしまうのです。
もったいないことですが。

ウチのその子はMUSEチューナが乗ってる
(NTSCに変換して解像度は落ちるが見れる。
 あ、いや、放送終わったから見れない)
高級機でして、
今もアナログ放送見るならピカ一の実力なのですが、
それでも、うーん、という感じ。
例えて言うならCDが既に我が家にやってきてて、
高級レコードプレーヤーがあって、音もいいけど、
「レコードはもういいや」という感じ。
いや、こんな例えも30歳以下には通じないのかな!

SONYですのでAVマルチ端子もあって
「PSやるなら!」という感じですが
しかし世はすでにHDMI。
メカって、あまり張り込みすぎると、
論理寿命が尽きてるのに
基本性能が優秀でまだまだ使える、
どころか下手な新品より良かったりして、
すごくもったいない気になりますね。
クルマとかレーザープリンタとか、
他にもそんなケースが僕の身の回りにはゴロゴロと。

しかし性癖というのは簡単には変えられないものでして、
きっといつもそういう
「捨てにくいもの」ばかり買うと思います。
そういうものでなければ、
買う意味が無いとも思うし。
posted by ながたさん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月24日

テーブル囲んで

宇宙機動巡洋艦の艦長「拙攻のナガタ」になって
連戦連逃の夢を育んでおりましたら、
鉄心&まきをの極道(道をきわめる)コンビから
お座敷が掛かったので行ってきました。
雨の中なんばまで。
22時すぎから。

いやおもしろかったわー。
鉄っちゃん以前イタリアから帰ってきて一言
「……日本人は疲れてるね」
ですが本日の皆さんは笑顔が一杯。
実は先週の土曜もいつもの定例会でして、
10人の大所帯でそこでもゲラゲラ笑ってたのですが、
なんといいますか、
ここも格差社会といいますか、
笑ってる人と笑えてない人との差が極端になってきてる、
のかもしれませんなー。

しあわせなどというのは実に簡単なものでして、
往年の名コピー「ポン酢しょうゆがある家さ」じゃないですが
テーブル囲んで笑いあえる時間、
これしかない。
だからそれを作り出せるように自分を持っていけば、
ただそれだけで、十二分にしあわせな日々です。

笑いましょう。
笑おうと思わなければ、笑えませんよ、なかなか。
posted by ながたさん at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月23日

世界を見やな

本日は母が旅行なので祖母と二人なのですが。
静かやわー(笑)
人間の存在感っていうものをまざまざと
思い知らされました。
ぼくも死んだら
「アイツがいなくなってさびしいな」
と言ってもらえるようがんばりたいと思います。

ひさしぶりにケータイの充電台を買いました。
便利ですね充電台。
置くだけじゃないですか。
でも高いのね今携帯電話って。
5万なんぼなんぼって。
自慢じゃないですが私大昔に
SO210iをたしか8000円ぐらいで買って以来
全部もらい物。
そういう私は今のが壊れた時にまた
もらい物が生じているとは限らないので、
8000円ぐらいのモデルが欲しいのですが……
iPhoneは一体いつになったら手に入るんですか。
荷物が一個減る(touchが要らない)だけでも
ヒジョーにありがたいのでジャストナウジャストナウ。
デミオ(ワールド・カーオブザイヤーおめでとう)の3ドアも
日本では売らないそうだし、
日本市場ってそんなに魅力がないのかなぁ。
Macも、世界中で絶好調なのに日本だけ伸びが鈍いんですよね。
なんだろう、横並び意識が強すぎるのか、
それともそういう消費にお金が回らないのか。
といっても、BMWの3が販売台数でゴルフを抜くというような
金満ニュースもあるんですけどね。
まあそやね、隣にざっくり10倍の市場があるのに、
市場は小さいわ客は世界一うるさいわ仕様は独自っぽいものが多いわな
日本国内用のチューニングなんかしてられっか、
って感じですかね。
それをさ、ソニエリのDoCoMo撤退もそうですけど、
日本企業が率先してやってるのが寂しいねぇ。
ソニエリの端末って、海外ショーの記事なんか見てると、
「えっ、これをなんで売ってくれないの?」
って感じですよ。
なんで、でしょうね。

やっぱり世界を見なあきませんよ世界を。
イイワルイ・ヤルヤラナイは別にして
「標準」を知っておかんと。
今週も「美の壺」を見て勉強しましょう。
posted by ながたさん at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月22日

漢字が肝心

風邪のおかげで1kgも痩せたよ、ぃやっほぅ。
来週のガッテンは「命に関わる○○のたるみ」です。

おすもうのニュース見てたら
2敗で両横綱が並び、3敗で平幕3人が追う。
4人外人。
しかしなんでそんなに違和感ないのかなー、と思ったら、
「名前が漢字」
これが大きい。これが大きい。
闘莉王や呂比須を思い出すまでもなく
名前漢字になった瞬間溶け込んでしまいますなー。
逆にウエンツ瑛二さんなど、
英語しゃべれず鬼太郎を演るぱりぱりの日本人なのに
思いっきり外人感がします。

ああ、そういえば日本人も向こうへ行くと
外国名で呼ばれたりしますな。
翼君がオリバー君でしたっけ。
ジャンボ・ジェット・ジョー。
スシボンバー。
イチロー。

郷に入っては郷に従え、ってことですな。

まあ、あと、
みんな大銀杏とマワシつまり
「裸」だというのも大きくて、
人間やはり裸のままが一番わかりあえるのかもしれない。

いや、こないだBSアニメ夜話で
「イデオン」の回見たからじゃないですよ?
湖川さん絵巧いなぁやっぱり。
生きてるんですよね、キャラがね。

話をメインテーマに戻しますと、
大相撲こそMLBや欧州サッカーのように、
世界中に売り倒しまくって稼ぎまくれるコンテンツやと
思いますよ。
わかりやすいし、決着が早いし(TV向け)、
あれしかも3時間番組にも5分番組にも自分で調節できますからね。
年90試合という試合数もインターバルもいいかんじですな。
がんばれNHK。自力で稼ぐのだ。
そのうち
「いつかウェンブリーへ」とストリートサッカーに
興じる子供達の横で、
「いつかリョーゴクへ」とストリートSUMOに
興じる子供達の姿が。

まあ、そうなったらそうなったで、
SUMO・W杯にアジア代表として日本が出れない
(モンゴルが強すぎる)とか
そういう事態に簡単になっちまいそうで
それはそれで寂しいのですが、
それでも居並ぶ力士達がみんな漢字の四股名だったら、
ちょっとうれしいじゃないですか。
大銀杏でね。
posted by ながたさん at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月21日

神棚・冷蔵・冷凍

一人で晩ご飯を食べ終わりまして、
さあおかずを片付けようと冷蔵庫へ運んでましたら、
重ねた容器がつるりと滑って
がっしゃーん。

あの、最近の冷蔵庫の、
 冷蔵
 野菜
 冷凍
ってフォーメーションは本当にみんなが求めるものなんですかね。
私昔の
 冷凍
 冷蔵
 野菜
って方が使いやすいんじゃないかと思うんですけど……
(人のせいモード)

あれつまり「上の方の奥の方」が使いづらいわけですよね。
だったら、長期間入れたままでもある程度OKな
冷凍室の方がいいような。
それか……別の用途を考える。
長期間入れたままでもOK……

仏壇とか神棚とか……
お供えもしやすいしね。
電気仕掛けで輝かせたり冷気噴き出させたり、
演出思いのまま。

伊勢神宮はご存知の通り内宮はアマテラスさんですが
外宮は豊受ノオオカミつまり飯の神様で、
ちょうどいいのではないかと思います。
わざわざ台所の他の場所にお祀りするよりも。
posted by ながたさん at 05:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月20日

ネコは知っている

風邪引いたんです。

年に1回あるかないかのキツイヤツで、
僕友達の誘いはよほど追い詰められてない限り
断らない方なんですが
それを涙流しつつ断ったぐらい。

で、寝込んでましてね、
長時間寝ますよね。
そうすると、なぜか足がだるい。
つけ根のあたりがどうにもだるくて、
揉んだり動かしたりしてもどうにもなんないんです。
身体弱ってる時って心も弱ってますから、
こ、これは何か別のヤバイ病気なんじゃないか、
血栓かなんかできて足が腐って来てるんじゃないか、
とかあんたんたる気持ちになってですね。

でもふと、いやまてよ、と。
このだるさは経験がある感じのだるさだぞ?
あれは……(ぼやけた脳を検索中)……
あ、そうだ布団があってなかった時だ。
それならば。
と、薄手のマットレスに毛布敷いてその上に寝ました。

2時間でだるさ解消。

いや〜。
なんでもええように考える、といいますか、
この微妙な違和感って、つまり健康だったら気づかなかったわけで、
このまま同じ寝具セットに寝てたら、
それこそ身体壊してたかも知れません。
風邪引いたから、よりベターなセットを発見できたわけで。

ここ数年ずっと寝具がどうもイマイチフィットせず、
困ってたんですけど、
今のベターがホームセンターの1980円のマットレスとは。
これまた妄想ですけど、
人間って長年、せいぜい芝生とか稲藁とか最大でも毛皮とか、
を土か板か石の上に敷いて寝てきたわけでして、
おふとんなどというものは不自然なのかもしれませんな。
もちろんやわらか〜いおふとんで眠りにつく時の快感は
私もよく思い知ってるつもりですけども、
それにも限界があって。
通販カタログの寝具コーナーでは
まさに厚みで金額が変わるような勢いで
豪奢な布団やベッドが紹介されてますが、
あれ、わからないもんですよ。
ああいうのってPCパーツでいうと、
2スロット仕様の放熱器オバケみたいな
最新ビデオカードみたいなものじゃないですかね。
普通の人には、ノートパソコンのオンボードビデオで十二分です、
むしろ省エネだしうるさくないし熱くないし、いい。
という。
余談ですが、
生協とかホームセンターのノーブランド・ブツは
実にあなどれないものでして、
「全てのお客様に不満のでないように」
極限までルーズに作られているんです。
だから耐久性ゼロですし性能も低いけど、用は足してくれる。
シャツとかでも、変にユニクロのかっこいいのより、
ほんと1シーズンすらもたない勢いですけど、
生協のシャツ着心地ダラダラで着やすいです。

もうちょっと言うと、
ものごとってフルルーズでやるか、
イチローのスパイクのようにフルタイトでやるか、
どっちかに限る、って気がする。
それは結局、同じ所目指してるんです。
僕も、MacBookAirでなにか書くのと、
ハイスペックPCに高価なディスプレイ高級キーボードそして
高額椅子、で、なにか書くのと、
つまりそれは「書きよく」ありたいわけで、
後者は本当に物理的にそれを提供してくれるし、
前者は喫茶店や別の部屋という新しい刺激を与えうる、
という点で提供してくれている。
つながってるんですね。

ともかく、
ほんと寝具って「合うか合わないか」だけのもので、
難しいですなあ。
返品の効かないタイプの商品だし、
2週間ぐらいは寝てみないとわからないものでもあるし。

そういえば、そうしたらですね、
ちょっと起き出してやつれた顔でジュースなんか飲んで戻ると、
いきなりミル吉(ネコ)が乗ってまして、
「にゃ」(訳:「ここええで」)とか言うんです。
おや珍しい。
つまり、それまではほとんど乗ってない。
つまり、ネコも忌避する乗り心地。
そんな寝具の上で寝てたとは……

ああそうだ、寝具売り場ではネコ飼ってですね、
「ほら!」と寝てる姿を見せるのが効果的かもしれませんね。
ヤツらはほんとに快適なところをよく知っています。
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2008年03月19日

はい、てなわけで

最近のシリーズ大団円が3/15のエントリでして、
今は虚脱状態にあります。
「書きたかったことが書けた」
という感じで。
こういう時はひとやすみかな、と思いますので、
しばらく休みます。

考え方がまとまったら、あとは実践です。
しかしこれがまた、
コンセプトを練るのと同じぐらい大変です。
まあ、ぼちぼち。

いい言葉だな、ぼちぼちって。
今までやってきたことが全部悪いってわけでもないですしね。

振り返ってみますと、
僕は「疲れ」を取りたかったのかも知れません。
疲れを取るには、
楽しいことをやる、
美しい物を見る美味しいものを食べる友とバカ話をする、
のも、とてもいいんですけども、
それはお薬でして、
時間が過ぎればまた同じ疲れに襲われる。
心の生活習慣を変えていかねば。
僕はどうも、いつの間にか、
楽しみというお薬では治りにくいぐらいの
「疲れ」を得ていたようで、
それを自分で治したかったようです。
誰に頼まれたわけでもないものを
一心不乱に書き続けてきたのは、
そういうことだと思います。

朝の散歩が身体を疲れにくくするように、
心を疲れにくくする習慣があると思います。
いや、そのへんわたくしがこれから実践で示してですね、
「なんでながたさんあんなにアホなんだwww」
と老人になっても言われたいところです。
みなさんもぜひ(笑)
そんなおりに最近のエントリあたりが、
ヒントになればこれ幸い。
そうですとも、
「ほえなが」はいつもあなたのおそばにありまするぞ!

活力があればなんだってできますよ。
まずはそれを取り戻しましょうか。

歩けるように歩くと、けっこう歩けるものです。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月18日

巧くしようとしない

これは前から意識しようとして、
なかなかできないことなんですが。

なにかモノをつくる時、
「相手のことを考える」
を最重要点に置くならば、
巧いかどうかはどうでもいいわけです。
巧いにこしたことはない、でさえない。
相手に刺さるかどうかだけがポイントであって、
それ以外は価値の外なのです。
「巧くやろう」というのは、
その意味がないことにエネルギーを削ぐ、
ということですから、
よろしくない。

あと、それを意識すると、
流行の方法論(すぐ無価値になる)に囚われたり、
事実をコピーできすぎてその人の味が無くなったり、
そういう面もありますね。

でもなかなかこれできないですよ。
教育はやはり、先人のコピーから始まるのです。
そして、いくらなんでもある程度の基礎技術がないと、
にっちもさっちもいかない。

先日「プロフェッショナル」で
絵本作家・荒井良二さんの回を見たのですが、
一見めちゃくちゃな絵に見えて、
荒井さんの本棚、
絵の描き方の本がミッチリ天井まで詰まってましたよ。
削り屑の向こうが透けるまでは要らないと思いますが、
一応まっすぐかな?と思える程度には、
鉋掛けられるようになってないと。

で、その「巧くなっていく」段階を超えて、
次は全く逆、いや逆じゃないな、
別の方向、
「巧くなるということを捨てる」
方向へステアリングを切らねばならない。

また巧いモノは巧いモノで、
それだけで「心地良さ」という
魅力を沸き立たせているので、
「あれでいいんじゃないか」
と思っちゃいますよねー。
その心地良さもまた事実ですしね。
たぶん、そういうピシッとしたものを見ると、
完璧そのものである自然をほうふつして、
それで喜べるんじゃないですかね。

それでも「慣れ」が自動的に手を巧くしていきます。
これに抗うには意志が要る。
「巧くならない」のがクセになるまで。
まぁ次々に相克が訪れるものですよ。

ピカソやマイルス・デイビスのように、
時期によって芸風がガラッと変わる人は、
たぶんその時その時の相克を、全く別のやり方で
乗り越えているのでしょう。
北斎先生なんかはジャンルを渡り歩くことで
相克を新しいチャレンジに紛れ込ませてる感じかな?
やり方はそれぞれだと思いますが、
相克は当然のことだ、
またか、
ぐらいの気持ちでいるのがだいじなことですかね。

生とは相克でござるよ。
それが無くなったら、天国へ行く時間です。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月17日

OPEN

同じことですが、
もうひとつ言い方を換えてみます。

人をネットワークと捉えます。
ある人には知識、体験、能力、
ヒトやモノがたくさん繋がっています。
利他行動というのは言い換えれば
相手に自分のネットにつないでもらうことです。
で、
繋いでもらえば、自動的にこちらも、
相手のネットも利用しやすくなります。
万歳。

単純に言えばそんだけの、
極めて物理的なことじゃないかな、と思ったりします。

「ヤツはイケてるなぁ」
すなわちアクセスしたいなぁ、
と思ってもらうには、
そのネットが豊潤であることです。
もちろん何かの能力が高いのもそうでしょうし、
変わったことばかりするのもそうでしょうし、
コネがあるのもそうでしょうし、
人柄がいいのもそうでしょう。
自分の得意なやりやすい方面で、
豊かに耕していくのが一つ。
それともう一つ大事なのは、
そのネットワークが、
変化し続ける、進化し続けることではないかな。
昨日見たネットと違うネットになってる!
そういう人にはやっぱり、
継続して繋がりたい気分が湧くものです。
知識やお金を得続けるという意味だけじゃなく、
あるところが深まってるとか、
ぜんぜん違うこと言い出すとか、
進化の方向は360度でござる。

自分を拡げて深めて、
惜しげもなく接続してもらう。
するとその相手のネットも自分のネットになって、
ますます拡大し進化する。
それはなにより自分のため、になるんですねぇ。

OPEN!
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2008年03月16日

(日常のお手入れ)

もし「悟り」つまり自己のために利他的行動を取る、
というのが割と純技術的な、
テクニカルなフィジカルなことだとしますと、
それは定期的なメンテナンスを必要とします。
簡単に言えば、
「クセにする」、
習慣にする必要がある。

「健康のためには毎日1万歩」
などと言いますが、
1万歩って結構な運動でして、小一時間かかります。
でもやれば間違いなく健康に貢献します。
どんなものでも、
最良の状態をキープするためには、
最低限のメンテナンスが必要です。
しかし、
部屋の掃除もそうですが、
毎日淡々と同じようにその行動をこなし、
習慣化してしまうと、
メンテナンス負荷はほとんど無くなる。
どころか、「やらないと気持ち悪い」というところまで行けます。
ジョギングでも歯磨きでも、同じですね。

たぶん人間というのは放っておくと
ワイルド方向に崩れるように、
生命体としてなってると思います。
腹が減ったら無我夢中で餌を探さないと、
死んでしまいますからね。
だから「自然にまかせる」と、
言葉はキレイなのですが、
最高の状態ではないような気がします。
特に現代社会は、ただ生きるだけなら
頭も身体も心もまるで使わなくていいですし。
そりゃやっぱり廃用性萎縮も起きますよ。

さらに人間にとって大切なのは社会性です。
相手があることは、
メンテナンス(コミュニケーション)が
どうしても必要になりますな。

だから一発大悟オールオッケー!ってことはなくて、
また次の日には落ち着いて
「む。これはこう考えるとおたがいハッピー?」
と、一からやりなおし。
でも、それを毎日続けてると、
いつしかその考え方や感じ方が癖になって、
知らず知らずにそれができるようになる、と思います。

僕も運動なんて大嫌いでしたが、
散歩続けてるとやっぱり明確に体調がいいので
(当社比ですが)
そうなってくると、大げさに言うと
朝起きるとカラダが自然に外へ向かいます。
「やれるようにやる。でもやる」
というのが、メンテナンスモードのコツですな。

以上簡単に言いますと
朝起きたら
「今日も一日、自分のために相手を笑顔に!」
とでも唱えてですね(笑)
自分に張り付いてる視点をひっぺがして、
一歩引いてみる。
と、全然違う風景が見えてくるような、
そんな気がします。

もちろん引き続ける必要もなく、
(一日中散歩してたらたぶん病気になります)
前にも出て自分にも戻って、
行き来していればいいんじゃないでしょうか。

いずれの日にかそういう全てがあたりまえになって、
なにも意識しなくてもベストバランスでいれる、
ようになる、だろう、きっと。

それでも運命は過酷で、
どんなに健康的に生活してても
病気も事故厄災も忍び寄るわけですが、
あ、いや、どこをどうやったって
最終的には死んじゃうんですけど、
まあ、思いがけないことがあるから、
人生はおもしろい。
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2008年03月15日

科学するブッダ

今日は長文だぞー。

最近考えてますのが、小難しく言いますと
「利他行動こそが最高の利己行動である」
てな考え方でして、簡単にいえば
「ひとのために行動すると、自分のためになる」

……いかんなぁ、どうしても宗教新聞みたいに
なってしまいますね(笑)

いや、なにも積極的に公園を掃除しろとか
そういうことではなくて、
AとBの選択肢があった時に、
多くの場合私達は
「自分の好みで」
たとえばAを選ぶわけですが、
実はよくよく考えてみれば、
ほとんどの場合どっちでもいい。
その時もし相手がいて、Bがいいというのなら、
Bにした方が、
相手喜ぶし、
近い人が喜べば自分も嬉しいし、
それでいいんじゃないかな?
というぐらいの気持ちの持ち方です。

「……それホンマに俺はどうしてもAなんか」
と自問自答してみますと、
ケッコーこれ、どっちでもいいこと多いですよ(笑)
むしろ人間そこでAにすることで
「決定する喜び」とか、
逆にそれを否定されると
「ないがしろにされてる怒り」とか、
つまり純粋に問題そのものに対するものではないことで、
喜んだり悲しんだりしてるものです。
これって……考えようによっては、邪魔ですよね。

「まぁそりゃそんな小さい話はいいけどさ、
 問題が大きくなってくると……」
でも極端に言いますと、一番大きな問題って、
「Aかゼロ(撤退・諦めや死)か」であって、
「AかBか」では無いことが多くないですか。
むしろBを選択できる程度の問題であるならば、
Bを選べばいい。

「譲る」とか「相手に合わせる」とか、
そういうことではなくて、
ノーカウントにするというか、
その問題を問題としない立場に立つというか、
ちょっと表現難しいのですが。
「右の頬をぶたれたら左の頬を出せ」
というのは、
「もっとぶって」
という愛欲の表現ではなく、
「私はそれは問題ではないですよ」
という意思表示かもしれません。
ぶつという行為は、
「相手を攻撃する」行為として、
意味があるわけで、
「それは僕にとっては攻撃ではないです」
と表示されたら、
ぶつ意味が無くなるわけですね。
そうすると、ぶたれなくなるかもしれない。結果的に。
ガードしたり、殴り返したりするよりも。
そういう感じ。
そう考えると、
すこしは「あーなるほど」と思っていただけませんでしょうか。

話はえらい飛躍するのですが、
この感覚を体得することを、
「悟り」と呼ぶのかもしれません。
ただそれだけの、かなり技術的物理的なことではないかな?
でもこれ行動表現としては、
「自分の欲を捨て、相手に優しくする」
になりますよね。結果的に。結果的にですけど。
ほら聖人。

そうなのよ、人は誰でもブッダになれる(笑)

いやまあ、それはちょっと強引ですが、
運命というのは皮肉なものでして、
利己行動をどんなにどんなに頑張っても
なんの結果も得られないことも多ければ、
ふとした小さな利他行動が
ものすごい自分にとって利益になることも、
たまにですがあります。
生きていく上で、両方の経験を多々積み重ねることで、
「まぁどっちやってもいっしょやったら、
 人が確実に喜ぶ方をなるべくやっていこか」
という気持ちになったりするかもしれません。
それがホトケゴコロ神の道ってやつかなぁ、
と、ふと思ったわけです。

「利己行動を捨てる」
と考えると、
そんなもの凡人には絶対不可能ですが、
「利他行動こそが(結構多くの場合)
 最高の利己行動であると認識すること」
ぐらいならまあ、なんとかなりそうではないですか。
全ての場合で24時間そうでなくても、
たまにそんな感じでやってみるとか、
身近なところはそれで、とか。

「いい人になること」
は不可能に近いですが、
「優しくできる時に優しくすること」
は、それほどは難しくない。

もし「悟り」の本質がこれであるとするならば、
ハッキリ申しまして山奥でザゼンするなどというのは
あまり良くない修行方法でして、
それよりコンビニでバイトした方がいい。
酔っぱらいに難癖つけられて殴られたりとか、
バイト仲間の女の子が女の子であるというだけで
店長が鼻の下伸ばして時給が高いとか、
そういう理不尽に次々に直面することで、
「ああいや待てこれはこう考えると
 僕にとって幸せなのかも?」
と知らず知らず鍛えられ、ついには
ホトケサマホトケサマと呼ばれて
主任として深夜番を任されるかもしれない。

道元さんが大悟したのが、
宋へ行った船で入管手続きに手間取って
船に留め置かれてた時に、
地元の老僧がギョーザに入れる干し椎茸買い付けに来て、
「あなたほどのベテランがこんな小間使いしなくとも」
「なにをいうお若いの、これが修行じゃよ」
「ガーン」
これやと思います。
食事番をしてみなの喜ぶ顔を見る。
これが幸せであり、それを胸に刻む。
いつでも、誰にでも、その気持ちで、向かい合う。
簡単なようですが、
たぶんいくつになっても、メンテナンスを忘れると、
すぐに錆びる心持ちのような気もします。
髪がヒゲが爪が伸び垢がたまるように、
人間の心も適切にシェイプしないと、
どんどん崩れていきますからね。

で。
この気持ちを最初に得るのは、
自転車に乗れた瞬間と同じように、
「ある時」であって、
それはお釈迦様の話のように劇的なものばかりではなく、
トイレ掃除の棒を握った瞬間とか、
あっ、という程度のもののように思います。

事実、人生とかそういう話にすると話が大きいですが、
よくやりこんだゲームを鼻をほじりながらクリアできる、
とか、それも「悟り」です。
このスーパーはこのぐらいで特売をやると睨みをつけて、
それが当たるとか。
そんな小さな「悟り」は誰もが、
しかもたくさん開いている。
でかい「悟り」も、本質的には同じことだと思います。
いや、同じでないという証拠がない。
お釈迦様やキリストでなければ、
あるいはその道50年の人間国宝でなければ
「悟り」すなわち全体観が得られないわけではなく、
それは誰にでも得られます。
(彼らはその対象が大きく全体的である)

この「悟り」と、
未知なるモノをコツコツと
仮説実践考察で削っていく「科学」と、
おたがいに交換可能でしかも十分並立する。
……というのが僕の持論です。

CO2で地球が大変だ、
だったらCO2を出さない技術あるいは
減らしてしまう技術を
科学の力でばんばん開発すればいいだけの話で、
何一つ諦めることはない。
悟りとは逃避でも諦めでもなく、
メタな視点や時間軸の視点から
大きく現在を眺め直して、問題を捉え直す、
そういう前向きな活動です。きっと。

なんかえらい話がでっかくなってしまいましたが。

言いたいのは、その、
悟りすなわち隣人を愛せよ、というのは
そんなにスゴイ大変なこと、
カンタンにはできないこと、
ではなくて、
冒頭申しましたような、
「どっちでもいい時は相手のいいように」
という程度でもそれはもう十分、
ものごとをいい方向へ転がしている。
怒らない人間になることは不可能ですが、
よほどのこと以外は怒らなくていいように
考え直す人間になることは、
やってみれば意外とできることです。
で、これは実はかなりテクニカルなことであって、
性格とか、心とか、環境とか、
それはあんまり関係ない。
そのことについて、
多数のトライと、
その結果とプロセスの冷静な評価を繰り返していれば、
眼前の状態に右往左往しない、
引いた目を持つことができるようになる。
特になんかチャクラを開く訓練とかも要らなくて(笑)
自分が、
いちばんたいせつだと思ってるものごとに、
できるだけ自分を浸していれば、
いつか手に入る目、感じ方、
その程度のものではないかと。
もちろん、今これをお読みのあなたにも、
すでになにかの分野で、
小さなそれを持っている、はず。
「オレは『スマブラ』のアイスクライマー使わせたら
 ちょっとスゴイで」
というのも、「それ」です。

これと、お馴染みの科学的手法、
計画を立て要素に分解し理論を考え
トライ&エラーで駄目出しをして
理論をさらに強化し……
というのを時と場合に応じて併用しつつ、
日常に起きるさまざまなことに
うま〜く対応していくのがいいのかな、と思います。

まあ、つまり、
誰もが知らず知らずに、
当たり前にやってることですけど。

だから、
「これからは科学的思考じゃダメだ」
というのは、違うと思います。
系統立てた訓練なしに、悟りすなわち全体観が得られる、
そんな甘いことはない。
釈迦やキリストだって空海だってザビエルだって
ガッツリ物理訓練を積んだわけですから、
それは必要なのです。

しかしもちろん、細分化していった要素を
キリキリ追い求めるだけでは限界が来るのは、
いろんな分野で起きてることです。
もう例を挙げる必要もないと思いますけど。

つまり、
WiiやDSがあるから、PS3やXBOX360の良さも
理解されやすいのであって、
逆もまたしかり。
両方必要なのです。

で、こうして「両方」といった時に、
「そんなん絶対ムリだ!」
という反応が即座に返ってくるのは、
おそらく、
1.科学と悟りは対立概念である
2.悟りなんて常人には不可能
という思いこみがあるのだと思います。
1.は全然そうじゃない、
2.も全然、そうじゃない。
だったら、両方並立させることは十分できるはずです。
人によって、得意不得意や比率は違うでしょうけども。

……と、こんなことを、
僕は14年ぐらい考え続けてきました。

当時はイケイケの80年代とバブルが終わって、
「Aじゃダメだ」
というのはハッキリしたのですが、
でも「じゃなんだ?」というのがわかっておらず、
古くからあるBはどう考えても、
Aに駆逐されただけあって常用は難しそうだ。
じゃあ、Cっていうのがあるのか、ないのか……

いや、実はBはなんとかなる程度のもので、
Aと組み合わせてA+Bでいけば、
まああと200年や300年はなんとかなるんでない?
という、ごく平凡な結論です。
しかし平凡であるが故に、
たぶん有用であろうと思います。

司馬遼太郎師匠の生原稿を記念館で拝読しますと、
赤だらけなんです。加筆修正。
緑や黄色も使って、一枚の絵のようです。
どうなってるのかコンビの編集者でないと理解できないぐらい。
文体からも想像するに、
またあれだけの経験と実績があれば、
スラスラと流れるように筆が運ばれてるのかと思いきや、
延々と、対象と文章ととっ組みあいを続けておられたわけです。
最後まで。

人間である以上、
閃きと悶え、両方が必要であって、
どちらかだけでなんとかなるなどという、
甘いものではない。
でもだから楽しくもあり、
困ったら、その時得意な方か楽な方に力を入れるという手も使える。

なんでこんなあたりまえのことを
長年考え続けてきたのか、
今となっては自分でも皆目わからないんですが(笑)
まあ、そういうことです。
二つは一つの裏表、
とかそんなややこしいこといわんでも、
二つのまま使えばええやん、と。
死に思い切り泣き、
生を思い切り笑う。
それでええやないですか。
死のない生に喜びなどなく、
生の喜びがなければ死などなにも悲しくないものです。
両方あるから、いいんですよ。

人は誰でも、
「科学するブッダ」なのです。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月14日

5:90:5


演劇やってました時に気づいたんですけど。
いわゆる「センス」っていうものですが、僕は
いい人:ふつうの人:わるい人
がそれぞれ、
5%、90%、5%
ぐらいだと思います。
「ああこの人はなんか違うもの持ってる」という
「断絶」を感じる人は、
まあ、20人に1人です。
逆に、箸にも棒にもかからんというか、
「演技ができない」という人もまた、
20人に1人居る。
・「バケモノだー!」と叫びながら舞台中央で転ける
という簡単なアクションが、
どうやってもできない人がいるんです。
理由は、その人ではないのでわからないんですが、
頭の描いたイメージとカラダの動きとの接続回路が、
非常に微弱かもしくは無いんではないかと。
逆にできる人は、
生まれ持ってその回路が特別製のように強力で、
すぐ憑依状態に近い状態に持って行ける感じです。
我々はふだん「こうふるまいなさい」という社会規範に縛られてて、
そのリミッターはなかなか外せないものですが、
そういう人はスイッチのようにそこが簡単に切れる。

で、まあ、この感じを応用しますとですね、
話がいつもどおり飛躍しますが、
世の中には
やるべきこと:どちらでもいいこと:してはいけないこと

5%、90%、5%
なんだと思います。
で、我々は欲深いので、ついつい、
「してはいけないこと」以外の、
「95%」を最大として、
全部欲しがるわけですな。
これが現代社会の「しんどい感じ」の原因の一つじゃないかなぁ、
と思うんです。
新しいケータイ買うと分厚いマニュアルございますでしょ。
あれ見ただけでしんどいですよね。
電話とメールしかしない人には。
ほんで「受話音量の大小」なんてものすご基本機能、
つまり大事な5%に入ってそうなことが、
ひっそり一行で書かれてたりする。
90%の方に埋もれている。
だから、95%理解しないと、だいじな5%も理解できない。

ですので、逆に言えば、
だいじな5%をだいじにする、
その5%をとればいいや、
という考え方ができると、
だいぶ楽になるんじゃないかなぁ、と思うんです。
95%と、5%では、
集中すべき面積が違いすぎる。
楽なだけではなく、
同じリソースをつっこむなら、
5%につっこんだ方が、
本質が練られた良いモノができる……かもしれない。

その5%を見極める、のは大変そうでいて、
でも発想さえ変えれば結構カンタンかも。
「幸せ」を定義するのは極めて難しいですが、
「飢えてない屋根がある安全、ああ幸せ!」
これならば誰にでも当てはまる。
逆から考えれば、
意外とその5%ってすごく簡単に見つかりますよ。
ま、クリアに見えてなくても、
こんな感じだと思っておくだけでも、
ずいぶん気が楽になると思います。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月13日

「考える」を止める

といいますか、
「評価しない」「あとまわし」っていうことを
突き詰めていけば、
「考えない」
になりますよね。
確かに、な〜んにも考えることが無い時って、
ものすご時間が余る(笑)

列車の待ち時間とかそうですなー。
御堂筋線なら長くても8分とかなんですけど、
永遠のように長いです。
これがFFでアサルトでもやってる時は
8分なんて8秒ぐらいで過ぎ去っちゃう。
前者はなん〜んにも考えることがなく、
後者は考えることがパンパンだからでしょうね。

我々現代人はひょっとすると、
・具体的に手を動かす
・休む
の他に、
・ただ考えている
という時間があって、
実はこれがゴッツ時間を、
それはつまりエネルギーを、
喰っているのかもしれません。

もちろんそれは無駄ではないのですが、
あまりに多すぎるとか。
先日書きましたがブッダがよろしくないこととして
「愛欲」「敵意」は、いいとして
「妄想」を挙げてました。
考えてもしょうがないことを考える時間、
それはもう大変楽しくてしょうがない時間なんですけども、
あまり耽りすぎると、前の二つと同様に、
人間を痛めてしまうようです。

だもので、むしろ、
思考を止めるように戦うと、楽なのかも。
あ、いや、逆ですね、
実行段階では思考が要らないように、
十分に思考して準備する。
って感じですかね。

またAppleの話になっちゃうんですけど、
最近のAppleはですね、
客を徹底的に「考えなくていい」ようにするんです。
ハード構成、売り方、インターフェイス、全部。
それがストレスだとよく知ってるんですな。
あるいは、考えるのは作業内容であって、
コンピュータのことではない、と。
例えばノート型Macを買おうかな、と思ってwebを開くと、
http://www.apple.com/jp/mac/
「安いの」「薄いの」「プロ用」
と3つしかない。
ほなだいたい、これかな、というのが自動的に決まります。
他メーカーのweb開いていますと、たとえばVAIO、
http://www.vaio.sony.co.jp/Products/
A、F、N、BX、C、S、G、T、アーッ。
もちろん選択肢が多いことは基本的にはいいことなんですけども、
正直「どれかいな」感がします。
(これでもVAIOはまだキャラクタづけがしっかりしてて、
 わかりやすい方です)
現れるカタチとしてはこういう微妙さなんですけど、
実は考え方の根本はかなり違う。
そんな感じがします。

ちょっと話は横道ですが、
文章も「相手のイメージを爆発させる」のが本来の力だとしますと、
その手前で「考えさせる」のは、
実はその最も大切なところをスポイルする恐れがあります。
自分が「考えて」やってることは、
相手にも「考えさせる」危険が大きいかも。
そこはスムーズに通るように、粘らないといけませんな。

考えろ考えろと子供の頃からよく言われてきましたが、
ちょっと待てよ、マジで考えなきゃいけないことって、
そんなに沢山あるか?
という感じが最近してしょうがない。
それに、要らんこと考えてると、
だいじなこと考えるエネルギー無くなるような気もするし。
以前「一瞬だけ考えてあとは無意識にまかせる」とか言ってましたが、
そんな難しいこと言わなくても、
「プロフェッショナル」風に言うと、
(N)「大切にしている、一つの流儀がある」
(SE) ♪ ポーン

 あんま 考えない

こんな感じでいいように思います。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月12日

話すように


書き方を変えてみようかなー、と思うんです。
というか、徐々に変わってきているんですけども。

今までは基本的にシャウトでして、
(そもそもタイトルからして「吼える!」だ)
熱血ヒーロー風に言いますと
「俺の言うことを聞けぇ!」
だったんですが、
もう少し聞き手のことを考えて、
噺家さん風に
「こんなアホなことがありましてねぇ」
ってな具合で、
いきたいかなあ、と。

いや、今までもちゃんと読者さんのことは考えてはいたんですが、
それはかなり物理的な読みやすさとかわかりやすさの面が主でして、
もっと踏み込んで、
会話するように語る、ような感じに。

そんなこと不特定多数を相手に不特定のテーマで
できるのかいな、と申しますれば、
たとえばマジック。
何百人かの前でやっても、
みんな見てる点はたった一点ですよね。
あるいは、
誰も気づかない、マジシャンだけが使う闇もある。
そこを描けば、いいんじゃないかと。
(具体的にモニターしてくれるのは自分しかいないですけども)

僕はなぜか、「書き始め」から
「話し言葉っぽさ」にこだわってきてまして、
(話し言葉そのものではない。それはかなり読みにくいです)
ずっとこんな感じです。
たぶんそれは、上記のようなことを、
実現したいからなのではないかな、
と振り返って思います。

僕は、あなたと会話してますよ、
と伝わるような。

話の中身もおもしろいにこしたことないけど、
それよりも、
話すことそのものがおもしろい、
と感じられるような。

僕には、なにかすごい独特の言語センスがあるわけでもないですし、
奇抜な物語や複雑な人物像が描けるわけでもないです。
なのになんでこんなことをずっとやってるかといえば、
たぶん、
言葉でつなぐコミュニケーションに興味があるんだと思います。
(だから会話文がやたら多い)
だっておもしろいではないですか、
僕が「可愛い女の子」といえば、
百人が百人違うイメージを抱くのです。
でも、話は通じている。

でもって、今までは、
できるだけ正確にイメージを伝えたいな、
と思っていたのですが、
それはそれでもちろんいいんだけど、それよりも、
受け手の中にあるイメージを膨らませるような、
そんな風に、話せたらなあ、と思うんです。

「その女の子は目が2つ鼻が1つ口が1つ……」
というよりも、
「その女の子は子猫のようで」
と言った方が、「いい」ですよね。
読む方もキモチイイし、想像できて、楽しい。
文章を読む喜び、
言葉が他の刺激よりも刺さる部分、
というのは、突き詰めていけばそこ、
最小の刺激であるがゆえに
それを受け手が好きなように膨らませることができる点、
ではないでしょうか。
だから言葉の選択や配列は、
相手の(脳内)経験を、豊かにするように鮮やかにするように。

真摯にそこを追い込めば、
追い込み方に僕という個性が出ます。
それで、書き手の色は十分なのではないかと。

どのぐらいできるか、
手探りなんですけど、
まあぼちぼちやっていきます。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき