2008年09月30日

「絶対」とは


ケムさんとこで教えてもらった色並べ遊びをやってみました。
「FM 100 Hue Test」
http://www.xrite.com/custom_page.aspx?PageID=77
……。
出ましたPerfect!
よかった、よかったよかった(胸撫
もうね、普段から
「ゴッホの黄色はね?」とか
「いややっぱりレグザのエンジンの色遣いはね?」とか
グダグダ抜かしてるもんですから
これ惨敗したらどうしようかと思いましたよ。
ちなみにMacBookAirのディスプレイです。
最近はTNでも凄いんです。
要するにこれ、
比較の問題でして、
動かそうとする色の、右左比べて、
一番上の問題ならどちらが緑強いか赤強いかで
さらに一つ先に、と動かしていくと、揃います。
ただキーになる色が1問1つずつぐらいあって、
一番上なら緑の成分も赤の成分も同量の(もしくは入らない)
黄色があって、そいつ左右から浮くんですね。
それはどちらにも入れようがないところに置いてしまうしかない。

と、やってて思ったんですけど、
「比較」というのはそれこそ比較的簡単でして、
あれとこれとそれがあって、並べ替える、
違いを見つける、
それはちょっと訓練するとすぐできる。
でも、
「絶対」というのはこれ非常に難しく、
絶対音感のように、
「この黄色はRGB割合でいうとどんな感じですか」
なんてものをパッと捉える、
いやそれは無茶だとしても、
「この黄色と同じ黄色をパレットから拾ってください」
でさえかなり困難だと思います。

これが、広げて言ってしまえば、
現代の難問ですなぁ。

先日の橋本忍さんのお話しではないですが、
情報が有り余ってるがゆえに、
どんなことでも比較しようとすると簡単なんです。
リーガエスパニョーラに比べてJリーグは。
○○国に比べて我が国の政治は。
あいつに比べてオレは。
しかし、
そんなことやっても、
実はなんの意味もなくて、
その場所その時その状況に置いて、
それぞれは様々な要因をそれぞれに計算し実行した上で
なされた結果が、
そういうものとして現れているわけで、
時空間的に遠く離れたなにかと比較しても、
本質的に無意味。
もちろん参考とか憧れとかそういう意義はありますけども。
じゃあ、いま現実目の前に対してどういう
「絶対」的な答え、
たった一つの答えを出していくかというと、
それはもう実際にやってしまうしかなく、
それで出てきた結果を受け入れるしかなく、
そりゃ「そういうもん」です。
どうしようもない。

しかしながら、
頭ではそのことを理解していても、
どうしても流れ込む情報と、そこから簡単に導き出される
「かくあるべし」的な比較級の姿、
そこに引きずられてしまいますね。
しかもよろしくないことには、
頭で一生懸命考えるほど、
事前に知識を得ようとするほど、
つまり真面目に取り組もうとすればするほど、
比較して相対化された自己・あるいは対象と、
「あるべき姿」との間の距離は、
どんどん広くなっていく。

実際に現場に立って物事に当たってさえいれば、
「なんのかんの言ったってこうするしかない」
ってなことは多いもの、
いや99%そういうものでして、
開高健さんの名言でしたか、
「もし明日世界が滅ぶとしても、
 君は今日林檎の樹を植える」
しかないのです。
どうしようもない。
神様と同じです。
そこにあるからそこにある。
こうであるからこうである。

これが、実は、
「絶対」というものの正体なんじゃないかなぁ、
と思いまして、
で、今という時代はその「比較」や「相対」と、
この「絶対」とのバランスが崩れちゃってるのかな、
と思ったわけです。

「比較」が強まりすぎているからこそ
むしろ自暴自棄気味に逆に
「絶対」が暴走するのであって、
いくらなんでもそりゃねぇだろうという
商売や信仰、つまり「絶対」の対象、
にすがりついてみたり、
モンスターペアレントやペイシェントのように
おのれの比較能力をシャットダウンしてしまって、
「絶対」的に世界の王のように君臨してしまう人も居る。

ビル・ゲイツが資産何十兆、
ってところまではみんななんとか比較できたんです。
まああの人は世界中で使われるソフトを開発したんだから。
でも昨今はちょいとしたアイデアをちょいとGoogleに売って
数百億。
それはなんだと。
またアラブの人がマンチェスター・シティっていう
イングランドのサッカーチーム買ったんですけど、
すぐブラジル人の活きのいいロビーニョというのを
目の玉剥くような逆価格破壊で買い漁る。
マンCってマンUのダービー相手ですから
まあ言えばセレッソ大阪みたいなもんですよ、
そこにある日ジダンが来たと思いねぇ。
いやちょっと待ってくださいと。
うちのユニには「タマノイ酢」って書いてあるんですよと。
それもこれも含めてオラがチームを愛しているんだ、
強くなりゃいい、
それは違うんだ、と。
と、いうように
例はわかりやすいからお金で出してますけど、
その他生活にまつわること実は全部。
生命倫理とか、食べ物一つだってそうだし。
口に入れるもんもう全部信じられないですよね。
どの段階でどこでなにがどう使われてるかわからない。
畑を完璧に仕立てたところで、
種苗会社から買ってくる種はF1品種、
子孫残せないヤツだったりしますよ。
もう、
「これが安全」「これは危険」
という比較が、
できすぎるが故にできない。
世界中が「比較」の意味をなさなくなりつつあって、
日常生活のどんなジャンルのコトも、
ある日突然その「比較」による並び、順列みたいなものが
クラッシュする世界になっちゃった。

真面目に相対化すると居場所を失い、
さりとて何でも絶対化するほど愚かでもなく。

まあしかし、
「お父さんにこう教わったから」
「神父さんがこう言わはりました」
はもう通用しないのもまた確かで、
ナウシカ(漫画版)のセリフ
「血反吐吐きながら飛ぶしかないのだ」
でございますよ。
それはでもおそらく、
常に人間が直面する問題なんだと思いますけれども。
その時代その時代の環境に応じて。

じゃその比較地獄からどう脱するか、ですけども、
やっぱりいつも動かない、
何を見ても考えてもぐらぐらしない、
「足場」みたいなものが必要なのかな、
と思います。
そしてそれは特別なことではなくて、
今現在自分が、
手を下している現実それそのもの。
ライブ。リアル。
たとえば私で言うなら今これを書いていること、
あなたで言えば今これを読んでいること。

先日、気のおけない友人と会う機会があり、
その前日から体調が酷く悪くて、
すごく鬱々としていたのですが、
会ってバカ話してると直りました。
簡単な例ですが、
それはよく想像されるように、
その「会話の面白さ」が鬱気分を吹き飛ばしたのではなくて、
会話すること自体、
ライブにセッションせざるを得ないという事実、
それが、しっかり立つ「足場」を築いてくれていたのではないかと。
その足場からそんなに遠くへは行けない、
という軛があるにしても、
踏みしめる大地がある安心感。
これがないと、
たとえば自分の妄想の中で誰かと会話を続けるといった場合、
視点も立場もフラフラして、
あらぬ方向へ暴走してしまう、
んじゃないかなぁ。

私の場合、
妄想を暴走させるのが仕事みたいなものですが、
しかし最後は文字にする。
せねばならない。
でないと伝わらない。
それは大きな制限ではありますが、
逆に、大きな足場でもあります。
能力や閃き不足でうまく行かないことは多い。
でも、うまく行かなくてもそれはもう、
その時点のめいっぱいであり、
それ以上はどうしようもないのだから、
「だってそういうもんだもの」
と、言葉は悪いけど、諦めるしかない。
そこが「絶対」と「比較」との、
強制的なバランスポイントです。
絶対的に「オレは芸術家」だと思うこともできますし、
比較して「じっと手を見る」のもできます。
でも、現実の自分、ライブな自分としては、
「いまそこにいるそれそのもの」
以外の何者でもなく、
芸術家でもないし手を見るヘタレでもないです。

ま、
簡単に言いますと、
頭で妄想するのはほどほどにして、手を動かせ。
ってことですな。

世界の捉え方はいろいろありますが、
現実の世界は一個しかないのです。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年09月29日

もうひとつカメラの話(今日も長い)

なんか業界が動いてると思ったら
フォトキナ(ドイツの見本市・大きい)でした。
今年はまたえらく話題が多くLaicaのモンスター
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/other/2008/09/23/9284.html
も気になりますが、
まこれはプロもしくはドバイの石油王にしか関係ないので
トランペットを欲しがる黒人少年になるとして、
小さきものをこよなく愛する日本人としては
オリンパスのマイクロフォーサーズ機ですね。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/other/2008/09/23/9285.html

簡単にご説明しますとデジタル一眼がいよいよ船出する
という時期に、各社心臓にあたるイメージセンサーサイズで
迷ったんです。
35mmフィルムと同じサイズは高価になりすぎる。
しかしサイズを小さくするとレンズの画角が変わってしまうので、
いずれは専用レンズを揃える必要がある。
結局悪く言えば妥協よく言えばバランスを取って
APS-Cサイズという35mmよりちょっと小さいサイズに
各社だいたい落ち着きまして、
今「デジタル一眼」の主力はこのサイズです。
(昨日のα900は35mmフルサイズ。一回り大きい)
でこの時、
いやせっかくデジタル化するんだし、
どうせレンズも新しく開発する必要があるなら、
銀塩の改造版ではない、
まったく新しいデジタルにフィットした規格をやりましょうよ、
と提案されたのが
「フォーサーズ」という規格。
オリンパスとコダックが提唱。
そのメリットとデメリットについては詳しくはWikipediaでも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/フォーサーズ
大きな利点として期待されましたのがイメージセンサーが
APS-Cよりもさらに小さいので、
本体・レンズが小型化・軽量化できる。
カメラといいますものはこの10年ぐらい、
デジタル化の進行と共に液晶だバッテリだダストリダクションだと
なんだかえらく大きくなりまして、
(特に厚みがすごい)
いま銀塩のプロ用旗艦EOS 1Vとか見ますと
「ちっさ!」と驚くほど、今のは大きい。

……と、期待され、
またオリンパスのE-410/510とその後継420/520は
その小ささで好評を博しているのですが、
しかしAPS-C勢も、
Nikon D40やCanon EOS Kissなどかなり小さく軽いのを出しており、
絶対的なアドバンテージではない。
ならばこの規格を発展させてこの方向でさらに逃げを打とう、
と、一眼カメラにSONYとは違うやり方・方向で地歩を築きたい
パナソニックと共同で作り上げたのが、
「マイクロフォーサーズ」でございます。

発表の時は正直微妙な雰囲気が流れまして、
一眼というのはボディもですがレンズシステムが大切ですから、
「新しい規格」と言われるとアレルギーが出る。
一応フォーサーズ・レンズが使えるとはいえアダプターつき、
また少なくとも一本買わねばならんのかと。
しかもミラーを省くと言うことはライブビュー専用、
あるいはEVF、
(光学的にもってきた絵ではなく作り終わった絵を液晶で表示してるタイプ。
 ビデオのファインダーから見える絵です)
光学ファインダーはよくて外付け、
一眼というものはだな、覗いて撮るからいいのであって、
こんなんやったらコンパクトデジカメの液晶見てればええやんと。

さあそこが問題。
世には
「コンパクト機では満足できないが一眼を持ち歩くのはしんどい」
という欲張りな人々が結構な数いる。
それはもう昔からで、銀塩末期にも各社から
画質がんばったコンパクト機がいろいろ出てたのは
昨日書きました通り。
そして実際、
デジカメでもそれはある程度やれるんだ、
というのを示して見せたのが
リコー・GR Digital。
その低価格高倍率ズーム機とは異質な高画質、
意図した「作品作り」を狙える自由度の高い操作性で
コアな人気を呼んだわけでございます。

しかし!
なんでも物事そう旨い話はありませんで、
GRDはそのバランスを
「28mm単焦点レンズ」
で実現しています。
広角28mmというのは風景や室内スナップで
抜群の威力を発揮しますが、
3m先の人物の顔もちっちゃくしか写りません。
「足で稼げ」「テレコンを使え」
というのはそれはそうなのですが、
もう少し汎用性も欲しいと。
でまた画質そのものも、
カリカリにがんばった挙げ句の高画質であり、
センサーにもレンズにも余裕綽々の
一眼勢特に中級機以上と比べられると多少分が悪い。
もう少し画質にも余裕が……

人間ってのは欲深いものです。
ですから進歩してきたんですけども。

で、そうなってくると、誰でもが、
そうちょっと気の利いた小学生でも考えるのが、
「コンパクト機に一眼並みの大きなセンサーを載せて、
 一眼のレンズを使えたら?」
はーい、
それが、今回の、モックアップでござる。
ということで、
これがスイートスポットにハマる人は
結構居ると思います。
出たらかなり話題を呼ぶんじゃないかな。

ただし!
まだある(笑)
そういう人はいることはいるし、
強烈に欲しがるので最初はばーっと捌けるけども、
ビジネスとして本当に旨みのあるゾーンなのか、
というところは疑問がある。
本当に本気でやるならやっぱり通常型一眼レフシステムを
えっちらおっちら持ち歩くしか無く、
実際オリンパスもEシステムを止めるつもりはさらさら無い。
また、いつでもどこでも手軽に撮りたいという人は、
もっと小さいコンパクト機がいくらでも百花繚乱、
しかも高級コンパクト勢として
GRD2、Canonのもはや10代目G10、NikonのP6000、
パナのF2のレンズ載せてるLX3も入れてもよいでしょうか、
ズラッと6万円するかどうかというラインに並んでおり、
この辺また写りもいいんだこれが。
これと十分差別化できるだろうか。
さらには、
レンズは交換できませんが
「APS-Cサイズのセンサーを載せたコンパクト機」
というならばシグマのDP1があり、
これは画質でとても高い評価を受けてますが
高価格と癖の強い操作性で、
バカ売れというわけではない。
DP1の画質はコンパクト機とは到底思えないですよ。
(センサーのタイプが違うというのもあるのですが)
(こちらの↓下の方の作例とか見られるとよくわかる)
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/review/2008/03/27/8194.html
ここまでいい機材であっても、
そうは売れない。
それをレンズ・システムとオリンパスブルーで押せるのか。
また宮崎あおいさんに押しつけて写真撮りまくってもらうのか。
ああ今気づいたけどブルーだからあおいさん選んだの?

製造業に関わってますと
「欲しい欲しいと言われるけど
 実際作ってみると誰も買わない」
というモノが結構あります。
もの作りはお客さんとのコミュニケーションです。
モノ自体の出来やコンセプトと、
時期や状況が合ってないと売れない。
クルマで言いますとたとえば今のご時世ですと
コンパクトスポーツクーペ、具体的には86レビンの現代版、
死んでも売れない。
でも「欲しいなぁ」とかニヤニヤしながらクルマ好きは言う訳ですよ
自分ノアとか乗ってるくせに。
「画質のいい単焦点コンパクト」
ってカメラマニアは呪文のように唱えるんですけど、
じゃ買うかっていうと常に非常にニッチで、
一機種二機種が何とか事業を継続できる量を確保するのが
精一杯という感じです。
で、今はその席にGR Digital2がすでに座っている。

で、まだある。
パナソニック、マーケティングにはちょいとうるさいよ?
なんたって遂にCanonを抜いてコンパクトシェア1位だかんねー、は、
「そっちはない」と踏んだ。
で、出したマイクロフォーサーズ機は、
コンパクト機ユーザーの「一眼願望」を満たすようなマシン、
G1。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dslr/2008/09/12/9205.html
これ単独写真ではあまり小さく見えませんが、
発表会の写真で女優さんたちが持ってるの見ますと
かなり小さめです。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dslr/2008/09/12/9209.html
D40やkissを初めとする
各社の初級一眼レフへ行く客を根こそぎ取りたい。

さてどちらの方向が吉と出るか凶と出るか、
これ非常に見物です。

カメラの歴史を振り返りますと、
常に小型化と高画質化はトレードオフ、
「どこでも撮りたい」と「綺麗に撮りたい」
は両立が難しい。
この矛盾こそカメラという機械の「原罪」と言えましょう。
銀塩時代には最終的に
「35mmフィルム」
というバランスド・フォーマットが生まれ、
一眼レフ・システムで高画質を狙うか、
コンパクト機甚だしきはレンズ付きフィルムで簡単さを狙うか、
に分かれていきました。
メカものはなんでもそうですが、
スタンダード・フォーマットから外れるとすぐ滅びます。
マンパワーが掛からない分進歩が遅くなる。
そのフォーマットそのものの素性の良し悪しはさほど問題ではない。
(だからこそ逆にロータリーエンジンとかLDとか
 一社でがんばったというのは賞賛に値する)
よく錬られ賛同もされスタートは勢いのよかった
APSシステムでさえ駆逐されましたし、
僕が子供の頃まだ110フィルムでしたっけ?
ハーフサイズの、なんかこうメガネケースみたいなのに入った
フィルム使うカメラとかありました。
それも35mmフィルムが消える前に消えた。
(今ウィキ引くとまだ作ってるらしい)
次のスタンダードフォーマットはどのあたりか。
今はAPS-Cサイズに思えますが、
D700、5Dmk2、α900のフルサイズ御三家の画像見てますと
やっぱりフルサイズいいねぇ、
メカ的な部分ガマンすればもうそろそろ20万切れるかねぇ、
という気にもなります。
(やるならαかも。α800あるいはα770?)
「20万」というのは電化製品での
普及へのマジックプライスでありまして、
最近の例で言うなら薄型TV、ドラム式洗濯機、
あるいはカーナビやパソコンもそうでしたな。
ここ切るとガーッと動く。
20万ちょいでフルサイズ買えるなら、
趣味人はもうみんなフルサイズ行っちゃうかもしれない。
と、
なるとむしろAPS-Cは中途半端になり、
マイクロフォーサーズぐらいのサイズが、
コンパクト機との間を埋めるフォーマットになるかもしれません。
あるいはまた、
繰り返しになりますが、
最近のコンパクト機の上位機種のサンプル見てますと、
たとえそれがバリバリに補正掛け倒したものであったとしても、
もはや「見れる」という意味ではかなり見れるものになっており、
あれだ、本気を出したチェーン居酒屋やファミレスの料理のように
もちろん天才シェフ率いる名店ほどではないにせよ
そこらで昔からやってるご主人のお店よりは美味い、
ってなところまで来ている。
高倍率ズームに手ぶれ補正に動画記録、
高精細液晶で閲覧すら楽しめて200gもしない、
もうこれで十二分やん、
ということになると、
こういう中間機種そのものに居場所がないかもしれない。
予測つきませんなー。

また先ほどのシグマもそのDP1に
41mmなどというマニア泣かせの焦点距離を載せた
DP2を投入、
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/other/2008/09/23/9256.html
(個人的には単焦点でぱっぱとスナップ撮るには
 40mmというのは非常に向いてる画角だと思います。
 35や50よりも)
一方老舗ペンタックスまでもが
APS-Cの小型機K-mを出品。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/other/2008/09/24/9290.html
私らより10歳ぐらい上の人にとっては
旭光学、ペンタおよびKマウントのブランド力は強烈であり、
K-100/K-10以来、一般的な知名度は低めですが
モノの良さと基本に忠実な商品企画は折り紙付き。
リタイヤードでカメラ始めたおじさまおばさまには
結構訴求力あると思います。
これも幅広く言えばライバル機ですな。

ま結局写真は腕とセンスなのですが、
それを生み出す機械には
さまざまなアプローチがあって、
とても、おもしろいです。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | デジタル・ガジェット

2008年09月28日

α900・よたばなし

ようやく「α」に「9」が帰ってきました。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dslr/2008/09/10/9177.html
まだカタログ貰っただけですが、
各所で噂になってますとおり、
見開きの気球の写真はかなりショッキング。
ちょっと今まで見たことない絵でした。
単純に「精細感がすごい」というものでもなくて、
良くも悪くも「実際の目」に近い感じ。
だってカタログの印刷が追いついてないもん。
「ここ情報欲しい」と思って目を凝らすと、
印刷の網点に邪魔される。
ツァイス、ビデオやTVで鍛えられたSONYの画像処理、
コニミノα時代からの個性的な色味、
いろんな要素がとてもうまく混じり合ってる感じです。
最近CG作成機化が進むデジタル一眼の中では
わりと異彩を放っており、
30万円級・中型ボディにフルサイズセンサーと考えると
D700や5Dmk2が直接競合かもしれませんが、
トップクラス、D3や1Dな人も、
その2400万画素とα-9譲りのファインダーは
ちょいと気になるマシンではないでしょうか。

あ、今ですね、一眼に限らずデジカメの絵は
すごい勢いでCG化が進んでおり、
つまり少ないあるいはS/Nの低い光学情報から
演算で絵を生み出す力がとても高い。
それはもちろんいい面悪い面ありまして、
いい面としては
ヤケクソに「キレイな」絵が簡単に撮れること。
悪い面としては
違和感を感じ出すと止まらない絵が量産されること。
そちら方向の最先端NikonのD700の作例。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/weekend/2008/09/19/9250.html
文句なく「キレイ」な写真なのは誰しも認めるところですが、
しかし、
よく「塗り絵」と揶揄されるのですが、
テクスチャ、あるいは質感を感じとるのが難しい。
いや、ピクセル等倍に拡大するとちゃんと解像してるし、
ディテールはあるのはある。小じわも皺もちゃんとある。
でも「肌」という感じがしない。
色も同様、この服のピンクとか水着の緑とか、
さすがにちょっと鮮やかに過ぎ、
布なり化繊なりに染められた色に反射した光を感じている、
のではなくて、
後からPC上でカラーピッカーで拾った色塗ってるような感じがする。
もちろんデジカメは加工と演算の塊、
そもそもA/D変換かました時点で最初の情報とは
異次元の情報に変わっちゃうわけですから、
「自然」そのものが出てくるわけはありません。
後段でも好きなように手を入れられるわけでして、
色もカタチも思うがままです。
最近のこの分野の技術はおぞましいほどで、
高倍率ズームの広角端の歪みなんか、
コンパクト機でも演算で取っちゃいますからね。
ON/OFFがついてると笑っちゃうぐらい綺麗に取ってくれてます。
でも
「できるだけ自然であるようにやろう」
という考え方と、
「どんな手を使っても像をでっち上げてやるぜ」
という考え方では、
180度逆。
また人間の感覚というのは非常に鋭くて、
慣れ親しんだ自然な感覚と違うものに触れた時、
説明はできなくても
「……なんかおかしい」
という気持ちがどこかに生じるものです。

くどいようですが後者が悪いというわけではなく、
後者的なモノの考え方をすることで、
どんな悪条件でも超的確な報道・スポーツ写真などを撮れるように
なってきてるわけです。
スナップにしたって、お母さんが手持ちで室内で撮っても
クッキリハッキリ写る。
これは、ほん10年前の高倍率ズームコンパクトカメラを
使ってた人ならよくご存知の通り、
驚異的なことです。
その頃のなにかの集まりの集合スナップ写真なんか
今見るとほんっと酷いもので、
カタログスペックの「○倍ズーム!」を謳うために
無理に無理を重ねた結果光学性能の低いレンズ、
ISO800あたりの高感度(当然粒度は荒い)フィルムを使って
全自動5円プリント機でだーっとプリント、
まあなんといいますかボケボケです。
なんの情報もない。
「写るんです」が出現した時に
「意外に綺麗に撮れる」と思いましたでしょう。
事実は逆、
あの程度のアウトプットしかできんところまで追い詰められてたんです、
コンパクトカメラは。
反動としてGR1とかTC-1とか28TiとかT2とか、
「やればできるんだ、やれば!」
とカメラ屋の泣き叫び顔が見えてくるような
高級コンパクト機がありましたな。
それが科学の力で皺一本まで残せるようになったわけですから、
その方向はその方向でひとつ、正しい。

ちなみにNikonが伝統的に後者だというわけでは
もちろんありませんで、どちらかというとごく最近
火が点いたようにそっちへ行ってる感じ。
少し前までは「地味しかし忠実」という方向だったはずです。
それは他社も似たり寄ったりで、
一機種ごとに方向があっち行ったりこっち行ったり。
各社「デジタル」という新しい武器を
どうやって使えば最大多数の最大幸福を得られるのか、
手探りの状態です。
また、
ユーザーの視聴環境も、いわば初級から中級機あたりまでは
サービスプリントからせいぜい四つ切りまでを考えれば
済んでたものが、
「42型TVに出力して見る」
「ルーペなんか比較にならないPC上のピクセル等倍で粗探し」
あるいは真逆で
「ブログにアップするから320×240でいいんだけど、
 とにかく暗闇でもそのケーキをストロボ無しで写してくれ」
という無茶苦茶な幅を持つようになり、
それにどう応えていくか、そこもまた頭の痛いところです。
ユーザーの目の嗜好としましても、
「とにかくノイズが嫌い」という人も居れば、逆に
「多少ノイズ浮いてても解像感命」という人もおり、
酷い場合には
「CCDとCMOSの差がわかってしまう」
などという変態眼の持ち主までいる始末。
どれにもこれにも応えるというのは厳しい。
銀塩時代のように
好みのメーカーが見つかったらそこと心中する勢い、
ではなくて、
一機種ごとに好みの機材を見つける、
そんな感じです。
そんな中でも
たまに多くの人に支持される良バランスの名機が生まれるもので、
NikonのD40などはデビューもう長い
600万画素キットレンズ付き5万円の最廉価機種ながら、
その高感度域での驚異的な粘り腰と素直な描写で、
未だに評価が高く、
同筐体の兄弟機D40x・D60があるにもかかわらず、
よく売れています。
ボディの能力が上がってきますと
レンズもいいもの使わないとセンサーを使い切れない
という事態にも陥りかねず、
実際α900はコンビを組ませてるレンズが
カール・ツァイスのVario-Sonnar 24-70ですがこいつが定価25万。
ボディと同じぐらいします。
これだけでレンズつきD40が5台買えますな。
何事もバランスでして、
凝り始めるといくらでも高価にできるレンズ、
これが普及品ですと、ボディもそれに見合ったボディの方が良い。
マーチにレグノ履かせてもそんなには静かにならない。
ロードノイズが引っ込む代わりにエンジン音が気になったりして、
バランスが崩れるものです。
いや、履いたこと無いから想像ですけど!

話ちょっと変わりますが、
このご時世、どんな物事でも、
「2強が真逆の作戦で張り合う」
というのは難しいのではないかと思います。
情報は同じものを仕入れており、ほぼ同じ技術を使えるわけですから、
その時期に最適化されたシステムはおそらく一つで、
最強の組織がそれを使うと、
同じぐらい勢力を持っていても、
やや落ちればなおさら、
そいつを使っちゃうんじゃないかと。
そういう意味で自由にできる3極目、あるいはその他、はだいじで、
巨人CとNに対してもの申せる素材が出現したというのは
言祝ぐべきことだと思います。
「いやこういう方向もあるよ」
という現物が出現しますと、
それがしっかり考えられしっかり作り込まれている場合、
ある程度は支持されるものです。
そうするとそれは無視できないものになり、
やっぱり強いものにも取りこまれていき、
全体としてのバランスが良くなっていく。

トップエンドというのはあるだけで幸せなものでして、
これの存在が700、350、300、200を引っ張るのです。
夢が見れる。
「いつかは900にツァイスだ」
と思いながら200にキットレンズ。
夢も希望もそれもこれも含めて「商品」ですから。

カタログ見開き最初の製品ショット、
右斜め前からのオーソドックスなアングルですが、
ペンタにSONY、レンズにZEISSの蒼いバッチ、
両肩にαとα900の文字。
口悪く言えばキメラ、寄せ集めですが、
流行りの言葉で言えばハイブリッド・多様性、
とにもかくにも一時期は
「もう終わりか」とまで思われた名門ブランドの名品が、
息永らえ続けられたというだけでも、
しあわせな秋の日です。
ミノルタというのは「稔る田」から来てるそうで、
まさに秋は、収穫の季節。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | デジタル・ガジェット

2008年09月27日

本「三鷹の森ジブリ美術館 GUIDE BOOK」 徳間書店



まだまだ「ポニョ」づいてるながたです。
ちょっと資料探しに行った書店の旅コーナーで、
この本を見かけ手にとって中覗きますと
よくあるペラペラのガイド本ではなく
やったらめったら詳しく丁寧かつ内実に切り込んだ編集で、
これは愛がある、ひとつ資料としてさえ価値がある、
と思い買い求めてみたところ徳間やった(笑)
まさか徳間の本が「るるぶ」とかと並んでるとは思わんやん(笑)
ということで本国仕様なので、
行く予定が無い方でも楽しめる本です。
でも、
すんげー行きたくなりますよ。

なんと言いますか、ガイド本の価値って、
情報量と質・鮮度もさることながら、
広告業界でいいますところの「シズル感」、
そうつまり
「行ってみてぇ〜〜!」
という気持ちにさせるところ、
そこに大きな比重があると思います。
むしろ今はどんな伝統・どんな辺鄙な観光地でも、
いやそういうところほど、
ネットでホームぺージ持って思いのままに
思いの丈を綴っている時代ですから、
単純なストレート情報では負けてしまいます。
本あるいは雑誌たるもの、
一覧性と比較対象性、
ポイントを重みづけする編集力に加えて、
「本人では気恥ずかしいような盛り上げ」
をどんどんやっていただきたい!

私事ですが東京は小平市に住んでたことがありまして、
環八越えてからが東京ですな!
武蔵の国でござる。
前も言ったかも知れませんが、
樹が高いんです関西に比べて。
風が強くて、ローム層の細かい赤土が飛んで、
空が広い。
自然がしっかりある。
大阪はね、無いの。
奈良や京都や神戸の人はすぐ山があるから
駆け込めるけど、
大阪には、無いの。
夕陽見ながら大阪湾に飛び込むしかない。
さらに東へ行くとさすがに山深くなってきますが、
あのへんは中央線に飛び乗ればあっという間に都心ど真ん中、
ああなるほどこれだけ巨大で豊かな後背地、
生産にしろ消費にしろ生活にしろ、を持っていれば、
そりゃ都市として巨大化するわ、
と思ったものです。
僕が居たのは小6の頃、つまり今から25年から前でして、
四谷大塚のある月のテストで行った三鷹の駅前は
小平と比べても非常にあっけらかん、
のんびりしたものでした。
それこそ今で言うと茨城のどこかの駅前みたいな感じ。
そんな頃のイメージで、
東京に住まなあかん羽目になったら
吉祥寺とかいいなぁ、
と軽い調子で言いますと東京の友人に
「なに言ってんですか!今あのへんめちゃめちゃ高いですよ!」
と一喝されました。
実際何度か連れてってもらって
美味しいパスタとか食べたのですが、
記憶の中にあるあのへんとは打って変わって
すごく活気があって、いい街でした。
緑、アクセス、活気。
人間快適なところを見つけるのはめざといですよね。

話が逸れっぱなしですが、
子供達向けにジブリ美術館があるなら、
中高生向けにサンライズ美術館があるといいと思った。
倉田光吾郎さんの等身大ボトムズがお出迎え。
体験コーナーでは
ハヤトの射撃に命を託すリュウさんの気持ちが満喫できたり、
憧れのホワイトベースのキャプテンシートで
有線電話取り上げて弾幕指示もできちゃったり。
短編映画は全部血なまぐさく全部最後イデ発動。
やー、たまりませんなぁ。
無理やね。

先日ご紹介しました「ポニョ」のムックでも思いましたが、
ここでもスタッフの笑顔が自然で素敵。
やはりこういう顔ができるように仕事をしたいものだ、
いやすべきだ、
と意を強くしましたよ。
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2008年09月26日

スペイン料理、エガビタミンC、HDD分解、ツインパルック

今日はいろいろ雑多なネタを。

・先日閣下が弟君の結納にいざ出陣するため来名する、
 ついては接待せよとお呼び出しを喰らったので、
 g石アナと先にスペイン料理のお店でできあがってました。
 お店は名古屋駅近く、その名も
 「Bar Espana」バル・イスパニヤ。
 http://www.arkworld.co.jp/barespana/
 雰囲気・料理・お酒、スペインそのままで、
 たいへん美味しい時間を過ごしました。
 アンダルシアの風に吹かれ地中海の波に呑まれ気分は
 「フェルナンド・アロ〜〜〜〜〜ンソ〜〜〜!」
 といった感じです。
 ま、スペイン行ったこと無いんですけど。
 「ジブリ美術館」のガイドブックの時にも思いましたが、
 こう、なにかを掻き立てられるようなものが、いいものですな。

・その際にg石アナから
 「エガビタミンC」を押しつけられまして
 http://cyoiota.com/egavita.html
 なにがすごいってこのリンク先の画像見てもらうとわかりますが、
 こんなに飲食意欲の湧かないパッケージは
 生まれて初めて。
 FFポーションだってもうちょっと飲む気になる。
 味はごく普通のC1000タケダとかあんな感じなのですが、
 缶を手に取るたびに目に入る江頭さんの鬼気迫る表情に
 すっかり味蕾を麻痺させられ、
 うまいとかまずいとかもうわかりません。
 その存在だけで、
 いやその気配だけで、
 モノの味を左右する、
 江頭さんというのはなんと魂の芸人さんなんだろう、
 と胸を熱くしました。
 2本目は要りません。

・古いHDDを捨てちゃおうと
 8GBとか10GBとかそんなんです。
 ところがもうヘッド固着が起きちゃってるのか、
 線繋いでも見えないんですね。フォーマットできない。
 これはもう物理破壊しかないと。
 いや、そんなヤバイデータは入ってないんですけど、
 なんとなく気持ち悪いですやん。
 ということで、ちょいとぐぐるとHDDのあの星形のネジは
 トルクスドライバーまたはヘックスレンチと申しまして、
 だいたいT8というサイズがそれだと。
 ホームセンターでちっちゃいのから中ぐらいのまで
 いろいろ折りたたまれてるのを、
 498円で買いました。
 これが正解で、あのね、
 HDDは2台、Maxtorの8.4GBとIBMの20GBだったのですが、
 MaxtorはそもそもT7でした。
 IBMはT8、T7、T3。
 バラしてみると設計思想が結構違って、
 ま、時期的にも数年の差があるので、
 どちらが優秀とかそういうのじゃないんですけども、
 IBMはビス留めが多くて部品点数多く、
 丁寧と言えば丁寧な作り、高コストと言えばそう。
 Maxtorはこれでもかと知恵を使ってパズルのように
 部品を組み合わせることで、ネジもネジ止め箇所も
 極力減らす方向です。
 というとMaxtorの方がスマートな印象に思えますが、
 バラして「なんとなくこっちの方がいい機材だ」と思ったのは
 IBMの方。
 手は掛かるけど無理はない。
 Maxtorは、アメリカの製造業にまだ息があった頃の、
 第二次世界大戦からの伝統を誇る
 とにかく誰でも簡単に手早く作れる・ように設計する、
 その極致という感じでした。
 (もちろん製造国はアメリカではないですが)
 ちなみに円盤にも傷をつけてみようとカッターを取りだし
 突き立ててみたところ、
 IBMのはつるつる滑る硬度を誇り、
 Maxtorはゴリゴリ傷がつく。
 くどいようですが設計年次が違うので、
 数年でそのように進化した、と捉えるのが正解でしょう。
 そのくらいの世代の要らなくなったHDDがあれば、
 分解してみると結構楽しいですよ。
 なんか分解しますとね、
 捨てやすいし。
 トルクスドライバーはセットのものをお買いになるのをお忘れ無く。

・部屋の照明にツインパルックが付いているのですが、
 これがクール色ですなわち青っぽく、
 日中はいいのですが夕食後部屋に行くと
 寒々しさに思わず着ては貰えぬセーターを編んでしまいそうになるぐらい。
 ので、ナチュラル色を買ってきたのですが、
 これがまた黄色っぽい。
 いや、今までの比でそう見えてるだけじゃなくて、
 明らかに黄色成分が強くて、
 MacBookAirのシルバーはウォームグレーに近くなるわ、
 AQUOS P1のホワイトはベージュみたいになるわ、
 かなり。
 よくわからないのですが省エネ・高効率・長寿命のために、
 演色性が犠牲に、いや犠牲にというと言葉悪いな、
 ピーキーなチューニングがされてるのかもしれません。
 mp3が下と上切るでしょう。あんな感じで。
 ……いややっぱり慣れなのかなぁ……
 あ、ちなみに2灯あるので両方点けると、
 その真ん中あたりがちょうどいいかんじ(笑)

・最近物忘れが激しくて、
 よく傘を忘れます。
 もうなにもかも忘れてしまいたい。
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2008年09月25日

超人徹子

また「ほぼ日」ネタで恐縮ですが。
http://www.1101.com/kuroyanagi/2008-09-01.html
徹子が超人過ぎる。
この話読んでる最中に喫茶店で「CG」誌を広げましたら、
松任谷正隆さんのコラムがあり、
松任谷家に徹子が来たと。
あれだけの大物になればお付きの人が御輿で担ぐように
来るのかと思いきや、
一人でプリウス運転してぴゅーっと来た。
そして朝5時までご歓談。正隆先にダウン。
徹人です。
御年75歳ですよ?
で、このコンテンツの最後の方で
なぜそこまで元気かの理由が明かされるのですが、
ネタバレみたいになっちゃうので失礼だと思いつつも
書いちゃいますと、
50年前に過労でぶっ倒れたんですって。
その時お医者さんに
「もう死ぬまで病気になりたくないんですけど、
 なにかいい方法はありませんか」
と訴えると、医師、いいお医者さんですね、こう言う。

「ひとつだけあるけど、できないね」
「わたしやります!」
「すすんでやる仕事だけ、やっていきなさい」

そりゃなにより難しい。
それに比べりゃ毎朝酢卵飲むぐらい簡単なものです。
しかし徹子さんはそれを守り、
今に至るも徹子なのです。
世界中を飛び回ってもあの元気、
それは、飛び回りたいから飛び回っているのであって、
すなわち、飛び回れば飛び回るほど、
元気になっていく。

ハァー……と長いため息をつくばかりでした。
仕事に限らずなんでもそうですが、
「自分のやりたいこと」で日常を埋めていくなんて、
なかなかできることではないです。
義務、義理、付き合い、小心、他に適格者無し。
理由はいろいろですが、誰しも、
やりたくもないことを多数やって日々生きてます。
ま、そんな中でも、
なるべく「すすんでやること」を増やして、
徹子のごとく馬力溢れる生き方をしたいものだ、
と痛感しましたよ。
「それは本当にやりたいのか?」
「それは惰性じゃないのか?
 エエカッコしたいだけちゃうんか?」
「それから逃げうる方法避けうる方法を、
 ちゃんと考えたか?」
そして、
「……なぜそれを今やらない!」

やっぱ長く一線で活躍する人には、
シンプルなしかし太い背骨が通ってますな。

余談ですがこないだ久しぶりに「ふしぎ発見」をちらりと見ましたら、
この対談にありますように徹子ほんとに三択が苦手で、
真くんも当てるそんなに難しくない問題を外してました。
どんなアキレスにも弱点はあるんですな。
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2008年09月24日

本「もやしもん」 石川雅之



界隈では有名なのですが(なに界隈だ)
一般の方には知名度まだ薄いかなと思いご紹介。
「菌」の見える種麹屋の息子が
農大に入って巻き起こすコメディです。
……と、聞いただけでなにかが起きそうでしょ?
面白いマンガは最初からパンチが効いてるものでして、
これも1巻1話から
樹教授がキビヤックを啜るシーンなど
読者のドギモを抜きます。
知らないことを一杯勉強させられつつかつ
生命の神秘、伝統の奥深さに触れられる逸品です。

最近ちょっと思うんですが、なんとなく世の中に
「農業はありなんじゃないか」
という雰囲気が出てきてませんか。
一つには食糧危機がどうやら本格化しそうだという
危機感もあるとは思うのですが、
もっと単純に
「おもしろそう」「やりがいがありそう」
ってところが人を引きつけてるのだと思います。
格差社会の逆説的ないい面として、
「金握ってもどうしようもねぇな」
という一面虚無感、一面達観がございませんか。
六本木だかどこだかの都心のタワーマンション60階に住んで、
完全空調空気清浄機入りの空気吸って
お取り寄せの地方名品を囓りつつ
ボジョレボジョボジョとかなんか変なん呑んで
55型最新鋭薄型TVで世界紀行を見る。
お一人様でね。
そこにはスペインの田舎漁村で暮らす
若いお母さんの姿が映って、
モノはなにもないけど手仕事と仲間と家族と団らんがある。
「幸せだわ。
 夫は優しいし、赤ちゃんは可愛いし」
ああそりゃあ幸せですよね!!と。
振り返って我が身はなんだこのカサカサは。
潤いも安らぎも慰めもなにもないこの生活は。
よしわかったもういい!
農業だー!!
そんな感じ。
数字とデータを右から左、
そんな仕事おもしろいわけないじゃないですか。
それをおもしろがれるのは、その数字が、
実体としてのなにかと直接繋がってるという
手応えを感じられるからで、
それがどんどん遠くなってる。
だから、
「あの時植えた種が、こんなに実った」
と手応えの感じられる農業、
「農」という営みに人々がまた、
ひかれはじめてるんじゃないでしょうか。

また当作品はイデオロギッシュなたとえば
有機農法マンセー、なものではありませんで、
ちゃんと菌の怖さもそれに翻弄される人間の姿も
描かれています。
私ら歴史・文学の方から行く人間ですと
「口噛み酒」
などというのは非常にこう
プリミティブ・エロティックなものでして、
年端もいかぬ巫女つまり聖なる処女がですね、
神様に捧げるために厳粛な儀式でもって……
という絵面を想像してしまうものですが、
無残に髭面の「笑い飯」の西田みたいな先輩が
やってのけて打ち砕いてくれます。
それどころか……いやそれは本編で。

楽しくてタメになる。
高校生に薦めて人類を農の力で救って貰いたい、
そんな力作です。
かもすぞー。
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2008年09月23日

ビデオ戦士終わりました。

188本、700GB弱でした。
「あーVHSなぁ……どうしようかなぁ……」
とお悩みの皆さん。
もう刻は残されてないですぞ(笑)
まずデッキがね、駄目なんです。
先日も書きましたが、
ゴム・樹脂が経年で悪くなってきてるので、
摩擦が取れず走行系が不安定
特に巻戻しがやられます。
巻戻しがやりにくいと取り込み作業極めて不便です。
次にテープもね、特に近年のブツに粗悪品が多い。
例の「銭形平次」を録ったテープは、
84年近辺ですから24年ものなのですが、
その頃のテープは分厚いのかかなり綺麗に残ってました。
ところがぎっちょん90年代終わりのあたりの
安売り120分テープ、
これがもうデッキに掛けた瞬間から異音がする。
もちろん再生してもオートトラッキングは迷うわ、
ハレーションは起きてるわ、
酷いもんです。
つまり近年のテープほど早く救出しないと救えなくなる可能性がある。
幸いなことにウチでは「ちぎれた」のは1本だけでしたが、
MTV1000がひーひー言いながら
「ああこりゃもう見れたもんじゃないな」
という動画を残したのは10本を下りません。
確かに、
迷いどころなんです。
たとえばウチにも「ナウシカ」とか録ってあるのあったんですけど、
もちろんこれは要りません。
DVD持ってますからね。
それに、どー考えても要らないものもある。
なぜか「一休さん」録ってるのがあって、
俺はそんなに新右衛門ファンだったのかと。
問題は中間ですよね。
持ってたいけどまたぶん一生観ないという。
それでも、この作業してチラリチラリと観たら、
懐かしくて楽しかったですよ。
ワンダーシビックのCMが流れてね、
あの当時あまりにもハイカラすぎた
ブラックアウテッド・グラスエリアのハッチバックを見せつけながら、
エアーズロックだかグランドキャニオンだかで夕陽に向かって佇むの。
もちろんBGMはルイ・アームストロングの
「What a Wonderful World」ですよ。
今観てもカッコイイ〜!
そのすぐ後に三菱のCMなの。
ミニカとギャラン・シグマとランサー・フィオーレが
三台並んでスモーク炊きながら
セリで上がってくるのねステージへ。
「今度の土日は三菱フェアーーーー!!」
とか叫びながら。
質実剛健!質実剛健!
これぞMITSUBISHI DNA!
25年経ってもなにも変わってないですよ両社とも。
またヤなことに、
自分の姿なんかも映ってましてねー。
文化祭で友人がハンディカムで撮ったものです。
男の子は高校生までですな。
高校生だとね、
顔立ちの出来不出来は別にして、
みんな「シュッ」としてますね。
ツルッとしてるんです。
物心ともに余分なものが無い。
しかし余分なものはないんですが、
みんな20年後となにひとつ変わっておらず、
もうあれですね、あの頃にはできあがってますね。
MacOSが最初のでもうできあがってたのと同じで、
あとはどうでもいいところをコチョコチョチューニングしてるだけです。
だから15歳元服は全然早くないと思った。
もちろん能力とか経験は足りないんですけど、
パーソナリティみたいなものは同じですよ。
それを無理に曲げたり歪めたりしない方がいいと思った。
今20代をそういうことしてドブに捨てるでしょう。
あれがよくないなぁ、と思いますよ。
ほんでそれでも嘘仮面創り上げてそれで死ぬまでいけりゃいいけど、
すぐボロが出る。
あるいは30半ばぐらいになると
「あーもーめんどくさい。パンツで過ごす」
てなことになるんです。
とするとその10数年は何?
まあ、そういう時期があるからこそ
パンツで過ごす決心が付く、という言い方もできますけれども。
それはいいんですが、
それ見て、その高校生の自分見て、
「ああオレはどうせ『こう』なんだから、
 無理せず『こう』であろう」
と思いましたよ。うんうん。
こんなことなら、
もっと映像、残しておけばよかった。
写真もいいですが、動画もいいですなー。
やっぱり情報量が違います。
雰囲気をよく伝えてくれますね。
もちろん、写真はそれが落ちてる分想像できるから楽しいんですけども。
当たり前ですが
声とかしゃべり方とか今とまったく同じで笑った。
ヤなしゃべり方しますねぇ昔から(笑)
視点がブルペンなんです。
出番待ってるしたぶんすぐ出なきゃ駄目なんですけど、
傍観者というか観察者でもある。
ま、こまっしゃくれた高校生男子なんてそんなもんかもしれませんが。

それとは別に、
これやってて思ったんですけど、
仕事ってコツコツやるのが一番ですねぇ(笑)
なにを当たり前のことを。
いや、とても単純な計画立てまして、
以前書きましたとおり、
ざっくり200本は無いとして、
1本1時間だとして、200時間。
1日の12時間を作業に当てると、
17日。
2週間と少し一心不乱にやれば、終わる!
で実際、
3週間は掛からず終わった。
あたりまえのことですが、
淡々と丸一日作業すると、12本終わります。
丸一日サボると、0本です。
それだけのことなんですねぇ。
作業の性質上「効率化」の余地がまったくないので
単純化されてますが、
どんな仕事も基本は、これですな。

やり始めは虚しいなあ、虚しいなあと思ってましたが、
やってみるとポツポツ発見もあって、
まあまあ愉しかった、です。
最後の1本は名勝負、98フランスW杯準々決勝、
イタリアvsフランス。
もうあの頃、並み居るベテランを押しのけて
PKの5人にアンリもトレゼゲも入ってて、
スターってのは最初から輝いてるもんだ、と思いました。
それとR・バッジョはやっぱり、
異常にカッコイイ。
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2008年09月22日

98フランスから10南アフリカへの道のり

今は古いサッカーを観てまして。
98フランスと02日韓を3試合ずつ観たのですが、
この4年間になにがあったのかと思うほど進化してました。
日本代表。
意外なことに98フランスのチームもかなり頑張ってて、
あきらかに弱国なんですけど、
弱者らしいひたむきさと、
「できることをしっかりやる」という方向性は正しい方向性で、
ああ、岡田監督のチームだと。
結果はご存知の通り0-1、0-1、1-2だったわけですが、
3連敗とはいえ1点差だったあたり、
このチームの芯の強さが伺えます。
そして02のチームは強い。
緩急が良くついてるのと、
最後の最後で個の力が爆発するあたりは
(鈴木隆行のつま先シュートを覚えてますか)
今の代表より強いのではないか、と思いました。
もちろん、
現在の代表の運動量と連携力はこのチームと比べても
遥かに向上している、それは認めます。
しかしそればかりを追い求めることが
果たして「強さ」に直結するんだろうか、
そこにちょっと疑問を感じましました。
先日のウルグアイ戦、点が獲れたのは誰のパスですか、
といえば小野伸二なわけでしょう。
「こういう方向で行きたいからこうなんだ」
という教条よりもだいじなのは
現実を動かす力、なのではないかな、と思うんです。
そんなことは百も承知かもしれませんが、
なんとなくだけど日本のスポーツ界全体が、
いやスポーツに限らずメーカーの製品とか観ててもそうなんですが、
欲深くて、
「かくあるべし」みたいなものやことを、
追求しすぎちゃうか、と思います。
それが全く無いのも寂しい話ですが、
ありすぎるのもよくない方向へ向かう。
「日本のサッカー」
とかよく言いますけど、
そんなことはFIFAランクで10位以内、
W杯で1度ぐらいは勝ってから言うべきカッコイイ言葉で、
私らはまだまだ、
先人が踏んだ足跡を丁寧に分析して研究して、
歩むべきなのではないか、と思ったりします。
オシム爺ちゃんが
「日本はアジアで一番強い。自信持て」
とこないだ言ってましたが、
それはリップサービスではなくて、
たぶんそうなんです。
で、その「自信の無さ」は、
なんかその、追い求めなくてもいいものまで
追い求めている、
無人の荒野を駆けているが故のことなのではないかと。
でね、
それがなにかもうものすごい革命を引き起こすような方向なら、
それはそれでいいと思うんですよ?
アスレチックスの「マネーボール」のように、
安い選手でもチームコンセプトにフィットする選手集めて
オーソドックスなスター軍団を叩きのめす、とか。
しかし別段そこまでの野望はなくて、
「W杯出て、できればええとこまでいきたいなぁ」
てなところでしょう。
その程度だったら、理念からトップダウンするのではなく、
足元からボトムアップする方が、
特に日本人には合ってると思う。
いや、日本人には、というか、
人間には、そっちの方がいい、
と僕は思います。
一人一人のクオリティで見れば98フランスのチームなど
現在の代表と闘えば歯牙にもかけないと思うのですが、
しかし「がんばれ〜!」と応援したくなるのは
98のチームのような気がする。
それは、
こっちの方向なら「がんばれば」もっとすごいことができるかもしれない。
という希望と期待、それがあるから。
現在のチームは、だから、
がんばるがんばらないとは違うところで、
何か障害があったり、あるいは結果が出てしまうことがあったり、
するような気がします。
代表の試合の人気が落ちてしまっているのも、
そういう面があるのではないかしら。
選手個々で言えば俊輔も憲剛も長谷部もめちゃくちゃええ選手ですよ。
98フランスに入ったら不動の大黒柱です。
考え方はいろいろですが、
「がんばったらなんとかなる」
という方向に向かわせるのも、
言い方を換えれば
希望を持たせるのも、
集団のリーダーの資質の一つじゃないかなぁ、と思います。

簡単に言うと、
今は難しく考えすぎじゃないでしょうか。

99ワールドユースの高原はまぎれもなく頼れるエースストライカーであり、
やってることといえば
「これ決めてくれ〜〜〜!」
というシュートを、ちゃんと決めてくれてた。
ウルグアイ戦の先制点なんて、DFとGKの股を二つ抜いてた。
つまり「いってまえ」という決意の力がゴールを生んでおり、
FWのやることって、極端言えばそれだけでいいんだと思います。
前線からのチェイス&チェックなんてそれができてからの話じゃ。

でも、それが故に、
なにかのキッカケで一皮剥けると、
今の代表はとてつもなく強くなると思う。
まちがいなく個々の能力は上がってるし、
コンビネーションも多彩になってるし、
他国の能力向上分を差し引いても、
日本代表は相当強いチームだと思います。
あとはその、足りない何かを思い出すだけ。

古いビデオ観て、ちょっとガッカリ、ちょっと安心。
節目節目は録っとくもんだなぁ、
と思いましたよ。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー

2008年09月21日

ムック「ロマンアルバム 崖の上のポニョ」 徳間書店



久しぶりにムックも買っちゃいました。
スタッフのインタビューが印象的で、口を揃えて
「とてもしんどかったけど楽しかった」
仕事はそれが一番ですなぁ。
アナウンサーの方なんかも難読名にぶち当たると
嬉しそうでしょう。
「ナパ・キャットワンチャイが井岡を追い詰める!」
プロとしての誇りと挑戦心が沸き上がるんですね。
やっぱり女性スタッフはポニョの絵が来ると嬉しい。
ので、制作チームはそういう手配をする。
そのへんの「案配」が今回は非常に巧く行ったみたいです。
そういえばジブリアニメではお馴染みの
「遅れてる遅れてる」漏れ聞こえが
今回はほとんど無かったような気がする。
なんといいますか、
やっぱり人間は正の方向、良の方向、
「これはみんなのしあわせになるんだ」
と確信できる方向の方がのびのびと力を出しやすい。
「ポニョ」はもう間違いなくそっち方向ですから、
観る人の笑顔に直結するなら、
カニも水魚もいもうとも描きましょうと。
なんとなくですが、
これからの「仕事」というものは、
どこかにそういう要素がないと辛いかもしれません。
誰だって今日会社へ行けば
汚染米をごまかすための作業が待ってると思えば、
イヤんなるわけでして、
そんなことは起こりえない職場でないと、
人手が集まらんかもしれない。
また逆に言えば、そういう気持ち、
「これは世のため人のため」
という気持ちを持てるように、
自分の仕事を見直すことができれば、
強い力を発揮できるかもしれませんね。

めくるとどのシーンにも記憶があって、
それも凄いと思いました。
たいてい、映画は長いので、何シーンか
「こんなとこあったっけ?」
というようなシーンがあるものですが。
そして美術のおぞましさよ。
画面観てる時はやはりキャラに目が奪われるので、
背景は縁の下の力持ちなわけですが、
しかし情報としては入ってきてるわけで、
そこがしっかりしてると画面全体の安定感が違う。
うまいケーキはスポンジがうまい。
まずいケーキはまずそこがケチられてる。
今までのジブリアニメでは美術はリアリティが高く
土台としてガッチリ支えている、というイメージでしたが、
今回はそれそのもので作品です。
パステルや色鉛筆のタッチの見える一枚一枚が既に絵本です。
すばらしい、としか言いようがない。

ムックとしてもそれはもう徳間ですから
いわば本国仕様、構成・内容とも非常に丁寧な作りで
これまた久しぶりに
「ああアニメの本っていいなぁ」
と思わせるよい出来映えです。
プロの仕事です。
ネット時代デジタル時代素人時代と申しますが
いや結局、生き残るのは、
こうしたプロ中のプロの仕事だけではないかと思います。
メディアやデバイスがなんであれ。

ああもう一度観に行こうかしら。
あとBDでいつ出るの?
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年09月20日

身体のリズム

「さんまのまんま」観てましたら
ぐっさんは昔音楽やってたそうで。
だから彼のモノマネには独特のリズムがあって、
「楽しい」んですね。
以前感心しましたのは「ロボコップ」の真似で、
あのテーマは普通
「ダダン・ダン・ダダン」
と表現するではないですか。それを
「ダダス・ダス・ダダス」
と刻んでて、
ああそっちの方がアレっぽい、と。
人間どこで何が効いてくるかわかりませんなー。

錦織圭さんって話題になってたのですが
はじめて観まして。
ありゃ人気出ますよね!
修造さんが「僕は彼のファンだ」と言ったとか言わないとかいいますが、
ああ、「観客を引きつける」というのはああいうことかと
思いました。
躍動感と言いますか、
ジャンピング・ボレーがね、
それがひとつの技になっているんです。
「ボレーしたいけど足りないからしょうがなく跳ぶ」
じゃなくて、
「ジャンピン・ボレー!!」
という必殺技になってて。
ナチュラルにそういう技が出ることが、
NBAのスターPGやMLBの守備で喰える人みたいな、
持って生まれて別の運動神経を持ったはりますねぇ。
そういうのを観ると素直に感嘆します。

ぐっさんもそうですが、
身体を使うことにはどんなことにも、
その個人の持つリズム感が根底にあるのかな、
と思います。
一人芸の場合はいかにそのリズムを自然に出していくか、
対戦スポーツの場合はいかに自分のを出し
相手のを潰すか。
ああそうだ、好調時のアーセナルのサッカーなんかもそうで、
選手層薄いですからどうしてもたまに
ちょっとリズムが違う選手が入ると、
そこが目で見てすぐわかるボトルネックになる。
その選手のクオリティ自体が問題ではなくて、
チームのリズムに乗れないのが問題。
(ただし乗れないということは不調であるケースが多い。
 いい選手はかなり周りに合わせられる)

若いうちは自分のリズムを出すのが得意で、
ベテランになってくると崩れた時・崩された時に
持ち直すのが巧くなりますね。

F1にて若きセバスチャン・ベッテルが雨まみれの中
初優勝を遂げてビックリしたのですが、
いかに雨の得意な選手と言っても天候が刻一刻変わり
ピット戦略各チームグデグデの中で自分のリズムを
持ち続けられたのは、凄いとしかいいようがない。
文字通り「千載一遇」の宝くじチャンスなのですが、
それをモノにできる、っていうのもこれまた才能と幸運ですな。
2000年代も終わりになって、
指導法なんかが変化してきたのか、
「自然に持ってるもの」をよく引き出せてる若い選手が
多くなってきたような気がします。

いいリズム見つけて、刻んでいきたい。
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2008年09月19日

男だったら一つに賭ける

すみませんちょっとTVづいてまして。
いやーたまには昔の番組観るのもいいですわー!
私ね、
「銭形平次」の大ファンだったんです。
もちろん大川橋蔵ですよ。
でかい役というのは幾人もの名優がやりますので
それぞれに「マイ○○」があると思いますが、
たとえば悟空はマチャアキに限るとか、
金田一耕助は石坂浩二に決まってんだろとか、
だいたい私ら世代ですとこの二つはこの二人です。
もちろん平次親分は橋蔵一択!!
ほら、水曜の8時でしたからね、
「Dr.スランプ」「うる星やつら」ときて
そのまま雪崩れ込んで見てたわけですよ。
その最終回888回目、
これを録画してありまして(笑)
カアッコイイんだ〜〜〜。
美青年でね〜〜〜。
今調べてみると御年55歳ですよ。
しかし見えない。
最後の大殺陣などね、幕府転覆を企む由井正雪一味に
単身、純白の上っ張りに二丁十手で立ち向かうんです。
なんぼほどヒーローですかと。
配役がまた、
それだけ続いた長寿番組の最終回なのでヤケクソに豪華。
香山美子(お静)、林家珍平(八五郎)、遠藤太津朗(万七親分)
ほら懐かしい。ほら懐かしい。
のレギュラー陣に加えて
若手が京本政樹に森田健作に市毛良枝、
友情出演に里見浩太朗、五木ひろし、汀夏子、
素浪人役に主題歌を歌う舟木一夫が顔を見せ、
スペシャルゲストは美空ひばり!
ザッツ・エンターテイメント、
ジ・オールスターでございます。

最終回ってことで
平次親分がちょっと旅に出るラストなのですが、
登場人物みんなに囲まれてお見送り。
ひばりが言うんです、あの独特の首を揺らす仕草と
なんとも表現しにくい他のどこにもないひばりヴォイスで。
「あたしね。
 お静さんから平次さんをとっちゃおうかと思ってたんだけど……
 でも、無理ね。
 だって平次さんはお静さんの、ううん、
 江戸のみんなの平次親分なんだもの」
いいですな。
「男冥利に尽きる」という言葉がこれほど似合う場面はない。
しかし平次は謙虚に返す。
「いやぁ……
 それもこれも、みんなのおかげさ」
いやだからなんぼほどヒーローですかと。

18年演じきった橋蔵さん、その年の暮れに亡くなるんです。
まさに平次親分のように、旅に出てしまわれた。
幼心に(というほどちいさくもないですが)
「ああ、あの人は本当に銭形平次だったんだ」
と強く思ったのを記憶しています。

等身大のタレントさんが人間くささを見せる、
あるいはまた
清濁併せ持つ人間の本質にリアルに迫る、
それはそれでいいのですが、
スーパースターが超人的な、
いや、「神様」そのものとして私達の目の前に現れる、
これもまたカタルシス。
モヤモヤした日常をスカッとさせてくれます。
ちょっと今の世の中には
「平次成分」
が足りないのではないか、と思ったりしました。
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2008年09月18日

スタバに座りて(笛は吹かない)

僕はスタバが好きで、
天王寺かなんばに行くとほぼ寄ります。
天王寺が難儀なのはあの規模のターミナルなのに
(乗降客数JR西日本管区3位ですよ)
Hoop店一店しかなく、
スタバに行きたい人が殺到するのでいつも満員。
もう一店舗アポロかルシアスかターミナルビルに作って。
なにがいいといって、
勉強になるんです、いろいろ。
まずね、
客を選ぶでしょう。
あれが巧いですよね。
システムがわかりにくいので最初は二の足踏みますよね。
僕もおどおどしながら行きました。
喫茶店で客として行ってなにが大変かって、
いろんなお客さんが来るので、
なにが起こるかわからない。
おばちゃんの集団が咆哮し合ってることもありますし、
挙動不審なおっちゃんが手震わせながら徘徊してることもあります。
若いのが若さを持てあましてただそれだけで危険な香りがすることもありますし、
そして子供。ちいさな子供と地頭には誰も逆らえないので、
皇帝のように振る舞います。
そんな客が全部いない!!
これおっきいですよ、これおっきい。
最初にあのカウンターの狭い隙間に顔を覗かせる瞬間、
あれが
「私はスタバ・ルールに従います」
という選手宣誓ですな。
あれですよアメリカから来た通販保険屋が
優良顧客だけ客にすることで支払いを減らし保険料を安く抑え、
さらにそれがまたリスクの低い客を呼び寄せるという良循環。
あと、
臆面もなく多様な席を用意して好きに座れと。
席はそもそもいろいろあるもんだから文句言うな、
ってことですよね。
あれも巧い。
やっぱり喫茶店にはいい席イマイチな席、あるわけですよ。
好みにもよりますが。
いろんな席が用意されてることで、
「場所的には好きじゃないけどソファいいなぁ」
とか、その席ごとに個性や魅力を持たせられる。
スタッフの教育もいいですなー。
最初は多少無理矢理感があったものですが、
だんだんスタッフもこなれてきて、こちらも慣れてきて、
やっぱり作り笑顔も笑顔の一つ。
それできてへんお店多いよ。多い。
マニュアルをバカにするならマニュアル以上のことを
やってはじめてバカにしろ、って感じですな。
あと食べ物もね、
ショーケースにズラッと並んでるでしょう。
いかにも日本人に縁の無さそうな食物ばかりが。
あれ最高のインテリアですよね。
ほら、古風な喫茶店がケーキやフルーツを
ショーケースに入れて見せるじゃないですか。
あれのパワーアップ版で、
たとえ食べないとしても、
美味しそうな食物が所狭しと並んでるだけで、
豊かな気持ちになれるものです。
……とかとか、
やってること一個一個に意味があり作戦があり、
非常に勉強になるのです。

そのモノやサービスやコンテンツが、
「強い」かどうかの一つのバロメーターが、
今までそれに興味なかった人を引き込めるかどうか、
これだと思います。
スタバには街の喫茶店なんかに行かなそうな人が
たくさん居て、
もちろん僕みたいなヘビーな喫茶店ユーザーらしき人も
たくさん居て、
それはやっぱり、「強い」んですよ。
なにがその、今まで興味無かった人を引きつけているのか。
また、従来のヘビーユーザーでも不満を出さないのは
どのキモを押さえているからか。
スタバの場合は味。
「文句はつけられない」というラインを超えているので、
確かにそのラインから言うとちょっと高いんですけど、
そういうユーザーが味と値段とどっちガマンできへんかというと
間違いなく味で、
そこを外してない。
だから頻繁に行かなくてもチョイスには残る。
これまただいじ。
チョイスから落ちると、飲食店は、いや飲食店に限りませんけど、
終わりなわけで。

いろいろ観てきて思いますが、
言ってることが矛盾するようですが、最近は
「規模を追うなら、
 規模を追うな」
という感じでしょうか。
「お客全部取ろう」と思うと逆に全部失う。
むしろ
全部のお客さんは無理だけど、
わかってくれるお客さんには大事な「場所」になる。
という方向がいいのかなあ、と。
もちろんその上でビジネスとして成立させるには、
総力戦で規模を追うのと同じぐらい、いやそれ以上、
綿密な計算が必要なのだと思いますが、
その計算の方が、
総力戦のような例えば
「どの電子マネーが我が社には最適か」なんて
考える計算よりもずっと楽しいんじゃないかな、
と思うのです、僕は。

で、こう「強い」システムが君臨しますと、
先日の「ベルク」の本のように、
じゃそれにどう対抗していくのか、
ってところでみんな知恵を絞って、
良いお店がどんどんできてくる、んじゃないかな。
今「お取り寄せ」もそうだし、産直物販とかも強いですよね。
かなり「買ってやってる」から
「買わせていただく」
になってきてる、ものも多い。
一時は、そうダイエー帝国が華やかなりし頃は
「流通がすべてを握る」みたいなノリでしたけど、
ほんとに強みさえあればそこから外れることもできる、
ような環境が整ってきた。
進化というのは多様性が引き起こすもので、
ある強力なシステムが生まれると、
強力であるが故に、すべてがそれで染められていき、
そこに逆に隙が生まれて、
小さなほ乳類が動き回れる余地が生まれる。
そして乱世へ。
歴史はスパイラルですな。
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2008年09月17日

TVのはなし2


たまにはTVも観た方がいいなぁ、と思いましたのは、
ネットと書籍だけですとね、
世界が狭くなりますね。
Pullしてくる情報ばかりだと、
やっぱり自分の興味中心ばかり引っ張って来ちゃうんです。
深く掘れば掘るほど、
穴は小さくなります。
ネットサーフィンなどと申しましても、
それは結局興味から興味へ渡り歩いてることが多くて。
もちろん普段はそれでいいわけですが、
Pushされるものですとたまに、
興味中心からは外れてるけど、いやしかしそれ、興味沸いたぞ?
ってなところにヒットします。
そこから自分の興味の枠が拡がる。
自分が広がる。
ああ、人と知り合うことに似てますね。
気心の知れたいつもの友人がもちろんいいんですけど、
たまに新しい人物と接触があると、
まれには馬があって親友になることもあるし、
その接点からまた新しい人間関係が生まれたり、
生活がちょっぴり変わったりする。
で、
自力で、自分の興味中心以外に興味の枠を拡げようという試みは、
できなくはないですが、
これやはり結構エネルギー、高い意識が必要で、
そんないつもいつもやってられへん。
本屋行くたびに「全然興味ない本も一冊買うぞ!」とかね。
大学生ぐらいまでならそれもできるかもしれませんが。
そこでTVとかラジオとか新聞とか、
Pushメディアですなぁ。
ぼーっとしてるとなんか降ってくるという。
なので、
そういうメディアはそこが強みだと思いますから、
無理に思いっきりPullなネット文化ケータイ文化に
おもねろうとせずに、
さらに総花的というか「おいしいとこどり」でいくのが、
いいんじゃないかなぁ、と思います。
安全・安心・確実。
歌番組を見たら、ぜんぶ流行ってる歌か名曲か。
それはだいじなことですよ。
なんかね、クリエイチブと言いますと
ゲージツ的な、バクチ的な難解な、イッちゃってるモノを
珍重する傾向がありますが、
そんなもの嘘ですよ。
基本的に残るものはわかりやすいものです。
あるいは頑張ればわかるもの。
そうでないものといえば
ベケットか中原中也ぐらいしか知らん。
「TVでも観るかぁ」
というのは、かなり高級な誉め言葉ですよ。
観る価値があるってことで。
価値ゼロのものにそんなこと言いませんからね。
確かにそれは、
「TVが観たい!」
を知ってる世代には
忸怩たるものがあるかもしれませんが、
蒸気機関車だって滅びたわけだし、
どんなものでもいつまでも栄光の頂点に居るわけではない。
とすると次は
どこにどう居場所を見つけるか、で、
そのためには自分の強みに特化するのが定番戦略かな、
と思います。
いすゞがプライドだけでやってた乗用車を止めて見事復活したように。

暇な時間にMLB観て(レッドソックスvsレイズが熱いんだこれが)
海外ニュース観て、
なんか園芸の番組とか料理の番組とかDIY番組とか流して、
こんなんさ、ネットじゃある程度のクオリティ持ってる
ページ探すだけでも大変じゃん。
それがあなたわかりやすく丁寧に、
その道のプロが美麗な動画で完璧な編集で見せてくれるわけですしかも、
タダで。
「……TVおもろいな」
と思ったながたでござる。
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2008年09月16日

「装飾を廃し、自ずからなる数字が紡ぎ出す安定の美」建築家・内藤多仲

言わずもがな通天閣・東京タワー・名古屋テレビ塔の設計者、
「塔博士」の愛称を持つ内藤先生のお言葉です。
実際、三塔とも作られた、描きこまれた美しさではなく、
その力学自らが美を醸し出していますな。
建築家たるもの、いや工業デザインたるものやはり
モノの本質、物性そのものが美に繋がっているのが
一番です。
こちょこちょなにかを付け加えたり、
ムリクリ曲線や曲面を使ったり逆にカクカクさせるのではなく、
すべての線や面に意味が無くては。
もちろん遊び心は必要ですが、
それをもできれば、機能的でありたいところ。

先日AppleのiPodシリーズがモデルチェンジしまして
大きく変わったのはnanoだけだったのですが、
横幅膨らんだ3代目から初代・2代目と同じ縦長デザインに戻しました。
「戻す」ということも大変勇気のいることだと感心したのですが、
それはともかくネット見てますと
「最近のAppleはデザインしてないねぇ」
あっ、バカモン、それは……
と僕が何か言うまでもなく
「バカモノ、『デザインしてないように見える』ってのが
 どれだけ難しいかわかってないな!?」
そういうことです(笑)
日本人のデザインリテラシーも急上昇中ですな!
余談ですが政局絡みで各党党首が記者会見など開く機会が多いですが、
バックの政党名入った衝立が各党かなり垢抜けてきてますね。
広告代理店とか入ってやってるんでしょうねあれ。
アメリカ大統領選みたいにワン・アクションごとに
プラカード作るのはやりすぎかとも思いますが、
基本的には「どう見られているのか」を意識するのは
ああいう立場の人にはいいことだと思います。
見る方の視点にも立つだろうきっと。
あれね、
初代nanoが出た直後にAKIBAWatchかなんかに
中国製パチもんnanoが記事になったんですが、
もうブサイクきわまりなくって、
あれって要するに四角が二つと丸が一つでしょう。
それで「美しい」と思わせるところにバランスさせる、
しかもフリーハンドではなくてメカニカルな、
あるいは使い勝手からの条件付きで、
これはなかなか簡単なことではないですよ。
そしてその方向は、往々にして、
シンプルにすることが目的化してしまって、
「確かにクリーンだけど物足りないなぁ……」
というモノにもなりがちです。
飽きるんですすぐ。
百円ショップの小物とかすぐ埋没しますね。
でも同じ籐の小籠でも、やっぱり3000円ぐらいした
「ちゃんとした」やつは、
数年あるいは十数年そこにあっても、
耐えるんですよね。
似たようなものなのに。
美しさを求める過程でシンプルになっていく、
シンプルにしていく過程で美しさが磨かれていく、
両方を意識できてないと。
で、次のお言葉。

「料理は引き算だ」
 コメディアン・寺門ジモン

となるわけです。
それはたぶん普遍の真理。
もちろん複雑なもの=悪ではなく、
そんなことを言いだしたら私達の身体なんて
極めて複雑な構造・組織・システムが一糸乱れず時々刻々活動しており、
自己否定になってしまいます。
ただ、
「要素を加えていく方がよい」
というのは、ちょっと違いますね、というおはなし。

先生は生活もシンプルだったそうで、
晩酌の肴はネギに味噌を掛けたもの一辺倒。
やはり作品は作者を表しますな。

余談ですが我が母校の校庭からは通天閣が見え、
夕陽をバックに輝く「日立エアコン」の文字は
この街のイヤになるほどの合理性を毎夕思い起こさせてくれました。
そうエッフェル塔だって「CITROEN」の文字で飾られたことがあり、
言わば大阪はパリですよ。
パリパリ。
私は大好きです。
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2008年09月15日

本「夢を食った男たち」 阿久悠




「詩はひととなり」と申します。
いや今作ったんですけど。
阿久悠先生と言えば代表作は、
の時点でもう困ってしまうぐらい、
なにかを出せば「いや違うこれだ」と思い入れたっぷりに
反論されるに違いないほどのヒットメーカー、
現代の大詩人でございます。
「津軽海峡・冬景色」「時代おくれ」「時の過ぎゆくままに」
「鳥の詩」「もしもピアノが弾けたなら」「舟唄」
そして「宇宙戦艦ヤマト」。
どんなジャンルでもなにが強いといって
「オールラウンダー」ほど強いものはなく、
あらゆる戦法を駆使する羽生善治、
どんな形からでも相手を圧せた全盛期の貴乃花、
例を挙げるとキリがありませんが
「なんでもできる」ということはつまり、
その基盤に強固ななにか、
真髄のようなものを掴んでいる、
のではないかと。
その意味でいえば
「ズンズンズンズンズンズンピンポンパポン」から
「せんせい♪ せんせい♪」から
「スターダストボーーーーーイズ!!」
までパッと「狙い撃ち」できるのはまさに
「勝手にしやがれ」って感じですな。
男性はあくまでカッコよく、
女性はあくまでしなやかに。
先生の描かれる人間像は、
大活躍された70年代後半から80年代前半の人々の気分、
「こうであったらいいな」
を象徴しています。
時代にフィットしながらも、のちのちまで歌い継がれる。
それはやはり大元のところで、
人間の本質を描いているから、だと思います。
こう並べてみると、
ジャンルは変わってもいつも「阿久悠節」がそこにある。
しかしでしゃばりすぎず、
どの歌も、歌い手や曲、そして捧げられた番組、
を活かすようなできばえです。
上に挙げた6曲の曲名を見てその歌い手を、
その歌声をその歌う姿を、
思い出さない曲はありませんでしょう。
これが素晴らしい。

彼が創り上げた最大の作品はいわずとしれた
「ピンクレディー」
であり、若い方には信じられないかもしれませんが、
「モー娘。」なんかの比ではない。
あの2年あまりは老若男女日本中がピンクレディーだったんです。
というか、つんく♂師匠もそうですし
秋元康さんとおニャン子もそうですが、
あれを見たプロデューシングの資質のある人々は
「あれだ、あれがやりたい」
と絶対に思ったはずで、
「TV時代の歌謡曲」というものが、
歌唱力があればいいなどというものではなく、
歌い手のキャラ作りから衣装・振り付け、
盛り上げ方とその維持の方法論まで含めた
総合エンターテイメントである、
と知らしめたことが凄い。
後の世への副作用が激しすぎたぐらいに。
今ではあのぐらい当たり前ですけども、
当時は曲ごとに奇天烈な衣装を着て
狂ったように飛び跳ねるあの二人は
まさに「UFO」に乗ってやってきた異星人にしか思えず、
だって歌となんの関係もないですやん(笑)
僕らは子供でしたからぽかーんとミーちゃんケイちゃんを
見ていただけですが、繰り返しになりますが
物心ついた大人にとっては
「チクショウ、やられた!」
ってな感じだったに違いありません。
……ってなあたりも当事者の立場から書いてあります。
なんでもその時の「スター誕生」でグランドチャンピオンになった
超期待の大物新人が清水由貴子さんで、
この2人はあまり期待されておらず、
で、あるがゆえにムチャをした、
せざるをえなかった、
のが逆に功を奏したそうです。
人間、どこでなにが起きるかわかりませんな。

それにしてもその頃、70年代っていうのは
世相が多少暗かった分、
現場でなにかと闘ってた男たちは、
熱かったんだなぁ、と思い知らされます。
石田達郎、当時キャニオン社長、にバーでポロリと
「1万トンぐらいの船借りて女性ばかりの洋上大学がやりたい」
と「思いつき」で言ってみれば翌日、
「押さえたから」
そんなもん今20000%不可能ですぜ。
個人個人のパーソナリティや能力、アイデアの問題ではなくて、
世の中のシステムが許さない。
で、あるがゆえに、大失敗もへんてこりんなことも
しょっちゅう起きていたのでしょうが、
まあ、それはそれで、
そこにいた人々にとっては、いい時代だったんだろうな、
と思います。
もちろんそういうフロンティアは、いつの時代にもあるんでしょうけども。
勃興期っていうのがなんでも一番おもしろいですね。
熱い心とハードワークさえあれば、
たいていのことはできる。

もうちょっとくどくどしいドロドロした本かなと
思いましたが、そこは阿久悠、
香る「昭和の男らしさ」とテンポ良い美文で読ませます。
やっぱり、この手の本で年数経っても
文庫化される、つまり読まれる、っていうのは、
良品の証ですな。
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2008年09月14日

TVのはなし


ビデオ整理してますと「数分の待ち時間」という厄介なものがありまして、
本読むのは中断されてイヤだし、ゲームは熱中して忘れちゃうし、
ぼーっとしつつ時間潰れる、というような……
そこでTVですよ。
「ああTVってこういう時すごいな」
と見直しました。
いろいろ気づきますよ。
さすがにプライムタイムはそうでもないんですが、
午前中や深夜はもうCMが番宣か自局事業かですね。
超ローカルもない。
昔は地元のパチンコ屋とかボウリング場とかあったと思うのですが、
そういうのもずいぶん見ない。
やっぱお金流れなくなってるんだなぁ、と。

コンテンツ自体も、よく言われることですが、
タレントさん集めてクイズとか知識ものとか、
お手軽な作りですよね。
積極的に「俺を楽しませてくれ!」という時には、
確かに物足りないのですが、
でもあのぐらいの方が、
「ぼーっと時間潰す」という時はいいんですね。
TVのラジオ化といいますか、
家に居る人、こういう(極端に言うと)
手だけ動かせばいいような仕事する人、
そしてお年寄り、
そういう人に向けたコンテンツに変貌しつつあるのであって、
決してお金が無いからでかいのが作れない、
だけでもないと思った。

あとNHK。
すばらしいコンテンツ目白押しでさすがNHK、
といつも思ってるわけですが、
あれ実は相当な時間同じニュースの繰り返しか、
夜は買ってきたコンテンツ流すことで潰してて、
うまいことごまかしてますなー。
ま5局もあるわけですからそのぐらいしないと無理なんでしょうけど、
深夜からBS1点けてると次の昼までずーっと同じニュースが(笑)
それでもBBCとかの恐ろしいチャンネル数考えると、
もうちょいあの膨大なストック活かす方向でもよいやもしれません。
教育とBS2は全部アーカイブ垂れ流しでもいいと思いますけども。

二極分化、言い方換えると格差社会は
は世界中のありとあらゆる局面で現れており、
現代という時代の特徴のひとつと言えると思いますが、
TV番組もそうで、
「40型フルハイビジョンで観なきゃもったいない!」
というものと、
「ワンセグで点けときゃいいや」
というものと、
分かれてきてる気がしますねぇ。
で、それにフィットしてるコンテンツが求められる。
前者は金が掛かる、ってわけでもなくてそこはアイデアで、
たとえば「美の壺」なんかはそんなにお金は掛かってませんが
前者向けのコンテンツです。
これは個人的な感想なんですが、
TVよく観てる人の方が、
あまり大型TVに関心を示さない。
のは、たぶんそういう人って、その中間の、
いかにもTV的なTV番組、
たとえばスターが揃うドラマとか、
ちゃんとしたポジションにすでに立ってる
芸人さんが仕切るバラエティとか、
を愉しんでる人々なんじゃないかと。
そういう番組に一番フィットするのは29型ブラウン管TVで、
それは今も変わらない。
セットの毒々しい原色の表現ひとつ、
ドラマのチープな背景がそれとわからない解像度ひとつ、
とっても、ああTV番組は
14型から29型までのブラウン管
へ映すことを前提に進化してきたんだなぁ、
と思ったりします。

こんな風に、
たとえば音楽でも
「ピアノの出現」っていうのは巨大なインパクトですよね。
「エレキギターの出現」でもいいや。
コンテンツ屋はコンテンツそのものが、
その内部から湧き出るものにしたがって、
自発的に進化(変化)してると
信じがちですが、
意外に環境ってのがでかいかも。
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2008年09月13日

ビデオ戦士いろいろ

・「目玉の田沢米流出」
と見出しにありまして
「田沢米」ってブランドなのかと思いきや
田沢さんというドラフトの目玉になるすごいピッチャーが
アメリカへ行っちゃうというお話しでした……

・ビデオ戦士
を、相変わらずやってるのですが、
久しぶりにアナログVTRというものを見ますと、
しっとりしてて風情がありますね。
もちろんノイズとか色の冴えなさとか、
「綺麗」っていうこととはちょっと違うんですけども、
緻密というか色が全部しっかり塗られているような感じ。
解像度から言うと、まあDVDはともかく
最新の地デジやBDよりずっと落ちるはずなんですけど、
なんかこう。
つまりMPEGに起因するブロックノイズとかモスキートノイズとか、
人間は普段脳が勝手に処理してくれて意識しないですが、
情報としては入ってきてて、
それに馴らされてて、
そういうのが無いアナログ技術を見ると、
ずいぶんスッキリ見えちゃうのかもしれません。
ああそういえばDVDが出始めの頃、
まあオーサリング技術もまだ発展途上だったのかもしれませんが、
「綺麗」だとはあんまり思わなかったな。
だからビデオテープ録画でもそんなに不満は無かった。
息の根を止められたのはやはりHDDレコーダでしょうなぁ。
で、
どうもキャプチャボード(MTV1000)にとっては、
きちゃない映像の方がエンコードが大変みたいで、
そういうの3本ほど立て続けにやってますと、
システムファイル巻き込んでクラッシュして、
立ちあがらんくなってしまいました。
熱暴走くさい。
と、書くと最初から病状を把握してるかのようですが、
いや一応一通りやりましたよメモリテストから全部。
結局システムパーティションが壊れました、
という症状でしたので、
ケースの蓋を開けてですね、
HDDをですね、ケースから出してですね、
まな板状態ですよ。
なんかもう臓物丸出し高周波だだ漏れで
Win2000入れ直してエンコードさせてます。
自作機のケースはしっかり設計されたミドルタワーに限るわ!!!
もうミニケースなんか二度と買わん!!!
小さいのが欲しければ
そのへんも考えて作られたメーカー品を買うべきです……
で、
それで気づいたんですけど、
Win2000の入れ直しって実は簡単ですな。
ほら、PCのOSを入れ替える作業っていうと、
つまり全部のデータを移動させたりアプリをインストールしたり……
って、そこが大変なのであって、
OSのインストール自体はさほど大変じゃないんですね、
って当たり前のこと言うてますか?
しばらくエンコードにしか使わないつもりなので、
LANの線抜いてます。
すると当然OSのパッチも要らなければ
アンチウィルスソフトも要らん。
めちゃくちゃ快適ですよ。
起動も終了もちょっぱや。
「うわWin2000未だに最高!!」
って感じです。
思ったんですけど、
3台ぐらいマシン並べてね、
まあモニタは3枚並べてもいいし1枚で切り替えてもいいと思いますけど、
で、ネットに繋げるの1台だけにするってのはどうです?
で、こっちはファイルタンク(サーバーではない!)
こっちは作業用、とか。
もうね、ファイルのやりとりはUSBメモリで。
今4GBが1500円ですよ?
なんかそのネットワークの共有がどったらとか
いちいち気にするよりよっぽど早い。
便利になればなるほど不便になってるような気がする。

そんな感じで、
人類になんの益のない作業に汗と涙と鼻汁を垂らしております。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年09月12日

プチ鬱

先日、ちょっと3日ぐらいプチ鬱でした。
もう大丈夫ですけども。
キッカケは季節の変わり目の体調変化のように思うのですが、
突然ガーンと来てどーんと世界がフラットに(笑)
いや笑いごっちゃないよ。
なに食べても味がしない、というの久しぶりでした。
いや鼻詰まってるんじゃなくて。
落ち込んで悲しんだり嘆いたりしてるうちはまだよくて、
それは感情だから。
なにより難儀なのはその感情を失うことで、
どこへ言ってなにをしていいのかわからなくなる。
「やる気がでない」というのとはちょっと違って、
なにをしても一緒やん、という気持ちになって、
タガが外れちゃった感じがして、
これ非常にヤバイですな。

わずらい自慢は他人様に読ませるものではありませんが、
私何回か、長さはいろいろですけどこのモードの経験があり、
しかしおかしなもので、
何度か経験すると「あ、あれだ」と
割とつきあえるようになります。
「うつはこころの風邪」
などと申しますが、
病理学的にはどうなのかわかりませんけども、
かかり方・治り方は似てる気がします。
ふと気づくとなってて、ふと気づくと治っている。
対処療法はいくらかあるけど根治する手だてはない。
ちょっと重い(場合によっては命に関わる)のも、
軽いのもある。
その時だいじなのは、風邪と同じで、
あんま無理せずにゆっくりすることでして、
それには周囲の理解が不可欠でござる。
僕が会社勤めてもすぐ辞めるのは(笑)
無意識のこの状態になってもいいように、
と思っちゃってるのかもしれませんねぇ。

そしてびびらせるわけではありませんが、
風邪と同じようにたぶん誰にでも起きうることですぞ。
躁鬱に限らず、精神的なゆらぎは、
「いつもと違う自分がいる」という感覚そのものが
かなり大きなストレスなのです。
だもので、
「なんかおかしい」と思ったら、
ゆっくりするのが一番、
というか、
ゆっくりするしかないので、
そうなさるといいと思います。

しかし悪いことばかりではありませんで、
「風邪というのは季節に応じた身体の作り替えだ」
という野口晴哉さんの言葉をなんとなく信じてるのですが、
このフラットな日々を越えると、
ちょっと人間が変わります。
いい方とか悪い方とかではなくて、
なんといいましょうか、
その時必要とされるココロの持ちようができるようになるような、
そんな気がします。
進化、というより適応。

僕の今回の場合ですと、
その直前にこだわってたのが
「普通にやるとはどういうことか」
みたいなところでして、
その「普通にやる」ことと、「わざとらしくやる」こととの間には
隔絶な差があって、まったく違う。
そしてそこに差があることまでは見える。
しかしそれはどういう差なのか、
あるいは自分がその「普通にやる」にはどうすればいいのか、
それは見えない。
この状態が一番厳しいわけです。
「それだ」と思う、でもできない。
「これじゃない」と思う、でもやってしまう。
これを一致させるためには、
価値観の総入れ替えみたいな、
もうWindowsからMacOSにSwitchするような、
それに近い大事が必要で、
だからココロが動きを止める、
んじゃないかな、と思います。
よく定年を迎えたモーレツビジネスマンの例が出ますが、
もうそのままですな。
「役割」と「人間」に対して敬意と関心を持たれていたものが、
半分、人によってはもっと、奪われてしまうわけで、
それに対して自分の方のシステムを変えていかねばなりません。
その時初めて、そういう大きな変更を余儀なくされると、
大変です。
だからまあ、若い時に挫折しとけと(笑)

でもま、考えようによってはその程度のことでして、
WinでもMacでもやるこただいたい同じで、
そんなたいしたことではないです。
ブラウザ見てメール読んでワープロ打って音楽と動画を愉しむ。
システムチェンジ自体は非常に大事なのですが、
生活はいつもと変わらず、
メシを食ってTVやネット見て寝て人とバカ話をする。
なにも変わりませんし変えようもありません。
しばらくすれば、
世界もまた色づくだろうと思って、
ぼけーっとしてるのが、
よい、と思います。

ご参考までに。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2008年09月11日

本「朝バナナダイエット」 はまち。



カメラは好きだけど写真は撮らない、
クルマは好きだけどドライブは行かない、
健康情報は大好きだけど不健康、
そう
「言うこととやることは別」それがオタク道、
そんなながたさんにまたシンクロニシティが訪れました。
先日「バナる」というエントリを書いたのですが
http://hoenaga.cocolog-nifty.com/hoenaga/2008/08/post_1b12.html
次の日に弟がこの本買ってきた(笑)
いやこれホンママジでマジで。照れ隠しとかネタじゃなくて。

一通り読ませていただきまして、
つまり最新ダイエット方向をよくまとめてあるな、という感じです。
まず、
・ストレスを溜めない。
これ極めて大事なことです。
ストレスで太りますから、とにかく食事でも運動でも
「ああいややなぁ」と思ったら負けです。
痩せません。
なので、イヤやなとは絶対思わないような作戦を練るしかないんですこれ。
そして
・持続可能であること。
これも同じように、効くからといって
「じゃ一生それやりますか?」せめて
「また太っちゃったらそれできますか?」
という答えに「YES」を言えられるほうがよい。
で、具体的な方法としましては、
・宣言と記録。
「やってます」と周囲に言って、
また記録を残すことで、自分を追い込む。
これだけでも極めて効果が高いのは記録式ダイエットなどで既にお馴染み。
ついつい手が伸びるお菓子、間食、
それを切るだけでも総摂取カロリーはえらい減るものです。
おかき一枚なんカロリーか知ってます?
80kcalぐらいあるんですよあれ。
それ消費しようと思ったらどれだけ歩かなきゃならないかご存知です?
20分ぐらい。
駅一駅。
そりゃその一枚を囓らなければ、ずいぶん違いますよ。
そのために宣言と記録、これです。
・三食。
で、話がようやくバナナに入るのですが、
これ前のエントリでも言いましたけど、
二食より三食の方が身体的には太りにくい、
のはよくおすもうさん二食の例を出して知られるところだと思います。
でも朝なかなか食べにくい。
そこでバナナですよ、という作戦ですな。
生姜紅茶もそうです。
バナナはこの用途で非常に優秀な食べ物でして、
安価(一本50円〜)、栄養豊富、
用意・片付け入らず、フレッシュ、
甘すぎず味が濃すぎず飽きにくい。
腹持ちもいいので、
これ私の感覚ですが、
トースト1枚よりはバナナ2本の方が持つような気がします。
そして、バナナを食べつつ、
昼・夜はなにを食べてもいいけど
(これはストレスを増やさないため)
・夜食はやめなはれ。
これこれ。
夜の食べ物は身につきやすい、という面もあるのですが、
胃腸を休める、という意味もあります。
胃腸が調子よくなると、
消化吸収の効率が上がるからか、
身体の代謝が全体的に好調になりまして、
汗もよく出るような気もしますし、
まとにかく悪い要素はなにもない。
これ私の持論ですが、
できれば12時間、開けたいところです。
7時に食べて翌朝7時までなにも食べない。
(水はOK)

まあ、要するに、
普通の食生活を無理ない範囲で普通にしてれば、
人間の身体は適当なサイズに収めてくれる能力が
備わってるはずでして、
豊富な餌が常備されているイヌ・ネコでも
「たいていは」スマートなものです。
ただ、おそらく「生物」として必要とされる運動量よりも
非常にすくない運動量で済む生活、
また自然状態ではありえないほどのカロリーを
摂取してしまえるような生活、
を、営めるようになってしまってはいるので、
そこをなんとか、
ちょっと運動して、
ちょっとバクバク食べるのを控えて、
バランス良く、ってことですな。

習慣というのは恐ろしいもの、
また社会的常識というのは恐ろしいものでして、
私いま37なんですけど、
お酒、好きだったんですけど、
若い頃には友人の弟さんとなぜか飲み比べになりまして
ビールを2ケース空けたものさ。
しかしもう毎日は辛い。
それを、団塊世代のビジネスファイター達は、
毎日居酒屋にスナックにキャバレーに、
通い詰めたわけでしょう。
そらどっか壊しますよ。
自然ではない。

ということで、
朝、たまには一本のバナナを手に取り、
じっと見つめおもむろに皮を剥き
じっくり舌の上で120度ずつばらしながら
味わって食べることで、
今の自分にとって「おなかいっぱい」とはなにか、
そんなところを確認するのもよろしいかと。

ちなみにバナナみたいなものでも良し悪しがありまして(あたりまえか)
安いバナナよりちょっと高いバナナの方が、
美味しいです。
甘味はもちろん、香りとか、実のしっかり感とか、ぜんぜん違う。
あと傷みやすいので一気に買うより、
5本ずつ無くなりそうになったら買う、
というのがいいと思います。
コンビニでも売ってますしね〜。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) |