2009年01月06日

本「かくれ里」 白洲正子



本を読んでなにがいいかと言って
「その気にさせられる」
ことほどお得な気分に浸れることはありません。
本書はその一つ。
主に畿内を中心とした静かなしかし歴史ある
「かくれ里」を巡る紀行文ですが、
読むうちに「行きたい」「見たい」果ては
そこに居るような気分になれます。
なにがあって綺麗だとか、
なにを食べておいしいとか、
そういう情報は少ないですが、
それを補ってあまりある人々の生活、習慣、
そして歴史がなによりの御馳走。
読後それぞれのかくれ里が
まるでなじみのふる里のように思えてきます。

近畿圏で育ちますと、
「一歩踏み込めばそこは歴史」
という感触を、子どもの頃から叩き込まれます。
まず小学校の耐寒遠足が明日香村だったりしてね。
公私問わず始終神社仏閣に連れて行かれては
でかい仏様を拝み鳥居をくぐり、
長じてクルマに乗れるようになりますと
あのあまり高くもない周りの山々が、
実はそれぞれ歴史とそれを護る人々を
抱えているという事実を思い知ります。
高野山なんてホント秘境でねぇ。
クルマで登りますと「ナビ間違ってんじゃないか」という
細道が延々続きまして、
いきなりパーッとあの天地が広がります。
花の吉野に参りますと、
赤絨毯カップ酒で酔っぱらうオッサンの真横から、
楠公がぬっと現れそうです。

それは一面誇りであり豊かさであるのですが、
重く鬱陶しいのも事実でして、
札幌のような新しい街に行きますと
訳のわかっている明治からこっちの、
なんというか「話のできる人間」しか居ない気がして、
なんかもう心が青空になります。
漱石が京都をボロカスに書いてる文章がありますが、
あの気持ちは我々ご当地者でもわからんでもない。
神サンとか仏サンとか
にゅっと出てこられたら、
私ら人間は手も足も出ない。
いくら「人間とは」を組み立てようと努力しても、
町屋の奥から平のなんとか(の御霊)がニッと笑うわけです。
努力の甲斐がない。

しかし、それもこれも含めて
人間というのは大きな流れの一部でして、
それはどの街に棲んで居ても結局は同じ。
まあ、しょうがないかな、と諦めて
そういうモロモロをお慰めしつつ
仲良くやっていく他ありませんな。

「神は死んだ」とニーチェは言いましたが、
奈良の奥山、ダム湖のほとりで
一人寝袋にくるまっておりますと、
到底そんな気にはなれません。
神も仏も精霊も妖精も妖怪も猫娘もいますよ。
いますよというか、
彼らは人間なんです。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2009年01月02日

本「ザ・チョイス」 エリヤフ・ゴールドラット



「頭がいい」というのはこういう人のことを……
と、最近頭のいい人の本ばっかり読んでます。
ラッセル先生に引き続き
「ほら、簡単でしょ?」
という感じでゴリゴリと話が進められていき、
所々で実例レポートが挟まれては頷かされ、
また先生のペースに巻き込まれていく……
まるで実際にこれ系のセミナーへ行ったかのようです。
私会社員時代に企画屋だったものですから
こういう系のセミナーにも行かせてもらった、
というか行かさせられた、というか、
で、懐かしい感じもしました。
ああいうのって、マジピンチでもない限り、
(そしてマジピンチの時は大抵組織が麻痺してるので
 解決しようという一歩すら働かないことが多い)
企業の方としても本気で勉強しようというわけでもなく、
いわばアリバイ作りの面も大きいのですが、
しかしことあるごとに社内に
そういうセミナー受けたことある人間を揃えておくと、
自前で
「ああそういえばこういう時はこうすればよかったような……」
という提案も出てきたりするものです。
それが大事。
大企業が、業績が悪くても粘るのは
各現場にそういう部隊長みたいなのが居て、粘るからですな。
特に日本の組織は伝統的に
下士官・下級将校クラスを現場で鍛えて育てるのが上手く
だから戦闘はいいのよ戦闘は。
戦術>戦略となるに従ってどんどんダメになっていき、
つまり昨今の学力低下でみんな真っ青になってるのは
ただでさえ肝心要の戦略がヘボいのに
(「無戦略こそが最高の戦略である」
 という伝統があるという説もなくはない)
得意の戦闘まであかんようになったら
ホンマにどうしようもないやんか、
という点です。
僕個人的にはやっぱりどう考えても日本人に向いてるのは
白刃突撃なので、
無敵戦闘員つまりサムライ&ニンジャを
ズラッと揃えて戦争は絶対にしない、
なぜなら勝てないから、
これに限ると思います。
それはいいのですが、
要するに外部のコンサルタントさんとかが来ていいのは、
中に居るといわゆる「メタ」な解決策なんかが
ぜんっぜん思い浮かばず、
それできわめて簡単な解決策を見逃したりしてることです。
この本でも例示されてるのですが
パン工場のね、売上げを飛躍的に伸ばしたいと。
散々細かいとこ弄って、昨今お決まりの
道路を倉庫に使う在庫減らしの頻繁なオペレーションとか
やり尽くして、
さらにもっと無いかもっと無いかとやって、
最後に出た結論なんだと思います?
「日に2回しか動かしてない配送トラック使って
 運送業始める」
はあ!?
って感じですが、まあ、しかし、
真理。
これパン屋の視点では絶対に出ません。
プライドあるからね、なんちゅーてもね。
カネ儲かりゃええってもんじゃないからね。
だいじなのはそのアイデアを採用するしないではなくて、
「こういう考え方もありますよ」
と頭ん中をシャッフルすることです。
人の悩みやとね、
人間簡単に言い切っちゃうよね(笑)
「別れちゃいなさいそんな男とは!」とかね。
でも、それが真理なんですよね。
みんな薄々はわかってるんですよ、
真理というのは極端に簡単なことだと。
要は誰かに、
あるいは何かに、
背中を押してもらいたいのです。
みのさんでもいいし細木さんでもいいしイワシの頭でもいいし、
この本でもいい。
だからどうしてもこれ系の人は
自らを大きく見せてカリスマ性を増し、
「押す力」を大きくしようとします。
そこが構造矛盾で、そうすればするほど、
いざ押された時の力は強くなるけど、
取っつきにくくなって、
押されたいなと思う人を減らしてしまう。
その点博士はまだまだ正直者。
ブラジルでセミナーぶつぞと下準備したら
ものすごい申し込みが殺到しそうで、
このままではコンサルタントの数が圧倒的に足りなくなると。
これは我が社のピンチだ、全社会議だ!
と世界中から人集めたら
実はそれほど申し込みなくって、トラタヌだったと。
「やっべーどーしよーみんな来てもらったのにー」
と自ら頭を抱えながら、
「いや待て真理は簡単なはずだー」
と思い直してなんか適当な議題をでっち上げる。
そんなような模様がちゃんと描かれてたりして、
まあ、ビジネスの真理というのは奥深く、
いつまで行っても尽きないものです。
そう博士が口を酸っぱくして言うように、
科学と、同じ。

父と娘の会話形式で書かれているので
ちょっと要点の読み取りがしにくいですが、
内容自体はよくわかるように噛み砕いて書かれています。
おもしろい本です。
読む時間もそんなに掛かりません。
posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年12月25日

本「日本の「安心」はなぜ消えたのか」 山岸俊男



「ほぼ日」で「イトイの買った本読んだ本」という
コンテンツが始まりまして、
http://www.1101.com/itoi_books/index.html
イノイチに紹介されたのがこれ。
以前から糸井さんは山岸先生の本を強く薦めておられるのですが、
そういうコンテンツで一番にこれ、というほど思い入れがあるのならば、
ということで1600円出しました。

出してよかったです。
社会心理学の方面から表題について切り込まれており、
がさつに抜き出しますと
「武士道とか言うてるからあかんねや」と。
「正直」というのは商人の美徳であって、
裏切られるかもしれないというコストを払いながらも
相手を信頼して関係を結び協力して
より大きなことをやっていく、
お互いにいい目を見る、
それがこれからのグローバル社会では必要な意識なんだー、と。
もちろん武士道が悪いわけではなく、
それが必要な・または有効な社会の段階やシステムはあって、
その時はそれがよいのですけども、
「今」の「大衆」にとっては、そうじゃないと。

いやもう全くおっしゃるとおりで、
ウチの祖母がね、昔酒屋やってましてん。
ウチの目の前に大阪で2番目にできた府営住宅がありまして、
まあ今で言えば高級タワーマンション前のコンビニ、
もう儲かった儲かった。
師走などアホみたいに忙しかったそうです。
僕が物心ついた頃にはもう酒屋は止めまして
タバコ+雑貨でのんびりお店開いてたのですが、
なにかの拍子にフト僕が祖母に
「『あきんど』ってなにが大切なの?」
と聞いたことがございます。
即答ただ一言、
「正直や」
サービス精神とか目利きとか勤勉努力とかではなく、
ただ正直に商売していれば、お客はつくと。
それは70年代までだから、あるいは酒やタバコといった
(当時)価格・品質要素が重視されない品物だったから、
という面はあるにせよ、
絶対の真理だと思います。
「情けは人のためならず」と申しますが、
お客さんは品物だけではなくサービスだとか無理を聞くとか、
そういう全てをひっくるめてそこで買うわけでしてね。
家電量販店関西資本で唯一となったJoshinがまだ頑張れてるのも、
価格だけではなくそういう
「信頼パッケージ」を売るのに特化してるからで、
その安心もあってウチは
「家のもの」はもう基本的に割高には目をつぶって全部Joshinです。
電話一本駆けつける、
その、「あたりまえ」だったことができなくなっているのが
今の日本です。
それは劣化というよりも混乱でしょう。
そちらの方がよいとなれば、またそちらに振れるはず。
先日もTVでサッカーの中継見てましたら、
まあこの局は随分前からなんですけど
ほんっと実況がヒドすぎで、
もうホンマ(以下120行削除)
でも実は今年の夏WOWOWでユーロ観てたんですが
別に文句ない実況模様で、
「ああなるほどつまり今はサッカーは金払って見るコンテンツなのね」と。
そんなものです。
まだ少し、時間が掛かりそうですが、
そのうち「信頼すれば信頼が返ってくる」という当たり前の事実の
居心地の良さに、気づく人が増えてくるに違いないです。
江戸時代はご存知の通り商業もとても発達した時代でして、
世界初の公設の先物取引所は大坂の米相場だったそうですから、
日本人にも商人魂は色濃くあるものですよ。
そうそう、「商社」が世界中を暴れ回ったのはついこないだのことです。

話は変わりますが
日本という国を見るとき注意するのは
ほんとにこの国は「本音と建前」の二重構造の国で、
両方見ないと全体の雰囲気は掴めない。
武士道がピュアに磨かれれば、逆の商人道も華やかに花開く。
ミシュランが寿司屋に三つ星を出すと同時に、
フランスで一番有名な日本人は鳥山明先生なのです。

ああそういえば司馬遼太郎先生が晩年、
歪んだバブル経済に心を痛め
「日本人は商人にならなあかん!」
と叫んでおられたのを思い出しましたよ。
商人というのは、「お金を儲ける人」ではなくて、
「おたがいの利益のために頑張る人達」のことですな。
武士道もそうですが、
他者との関係性無しに人間社会というのはありえないのです。

ギブがあればテイクがあって当然。
ギブ&ギブではいつかギブアップしてしまいます。
それよりは、みんなで長くギブそしてテイクの方が、
幸せに違いない。
テイクそのものを忌み嫌うのではなく、
「いやその程度のことでそれはテイクしすぎやろ」
「この人達にはもうちょっとテイクさせてあげるべきやないか?」
というあたりで、うまく話が収束していくといいんですけどね。

なんとなくクリスマスにふさわしい本でした(笑)
おすすめです。
posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年12月24日

本「ラッセル 幸福論」 バートランド・ラッセル



先日長年やってましたことで
一山越えたのはよかったんですが、
越えたら越えたで「支え」みたいなものを失いました。
どんなに辛い重荷でも背負ってさえいれば
「これを降ろす日が来れば!」
と頑張れるものですが、
いざ降ろすとどうしていいのかわからない(笑)
全部「それのせい」にできてたんですな。
体調悪いのはそれのせい、
機嫌悪いのはそれのストレス、
で、無くなると、それのせいには、できない。
でも人間普通に生きてましても
やはり不機嫌も不満足も襲うもんでして、
なすりつける対象を失ったわたくしは、
偉人の知恵を借りることにしました。
バートランド・ラッセルといえば当代随一の知性です。

……「当代随一の知性」とはどういうものか
まざまざと見せつけられて逆に鬱(笑)

いやあもう、要するに
「不幸っていうのはこれとこれとこれとこれが
 主な原因だよね、
 その時にはそれぞれこれはこうこれはこうこれはこう、
 幸せっていうのはこれがこうでこれがこうだったら
 いいよね、
 じゃあ、こうしてああしてそうしてどうして」
というようなことが
超・理路整然と書かれており、
この本読んだだけで
「不幸になんてなりようがない」
とまるで実演販売の人に心地よく騙された後のような
気分になれます。
「あたまがいい」っていうのはこういうことだと。
わかってるようでいてわかってないことを、
誰にでもわかりやすくすること。
他の国民同様イギリス人にも良い点悪い点ありますが、
最も良い点は
「これってこういうことでしょ? 違う?」
とこっちが二の句の継げないまとめ方ができるところ。
「いやそんな簡単なものじゃない」
と言いたいんですけど、丸め込まれてしまう。
自動車で言いますと初代ミニ。
あれぞまさにジョンブル魂でして、
あれ以上何も要らない、あれ以下には何も引けない。
あれで、イギリスの自動車産業は、終わったんです。
完成しちゃったから。

まそんなようなことで、
ごっつ釈然としないのですが、
しかし魔法の文句は
本書の中で先生がおっしゃってるように、
「どーせ宇宙の流れの中ではたいしたことないんだから」
ということでして、
まあ、辛くなったらこの本ぱらりとめくって、
「……まあそうだな、バラバラに問題切り分けて考えりゃ、
 たーいしたことねーなー」
と思うのがよろしいです。
鼓舞するでも励ますでもなく、
「だってこういうことじゃん」
という自然体の言葉が、胸に染みます。
本棚に一冊、
バファリンのように常備すると、
助かることも多いかもしれません。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年12月12日

ムック「NumberPLUS 完全保存版 野茂英雄」 文藝春秋



引退を知った時にも書きましたが
野茂英雄は偉大な投手です。
「エース」の称号が、
チームに最多の勝ちをもたらす者に与えられるとするなら、
4年連続最多勝はもちろん空前おそらく絶後、
金田、稲尾、杉下、米田、村山、江夏、山田、
あるいは桑田に工藤に松坂。
名投手数あれど、これやったのこの人だけ、
というのが「勝ち続ける」ということの困難さを物語ります。

幼き頃、行楽帰りの父の車のラジオから流れる
「江夏の21球」
のドラマをリアルタイムで聞きまして
無死満塁から1点も獲れないのかと。
「ああこんな情けない球団は
 僕が応援してあげるしかない」
と思って以来の近鉄ファン、
もちろん88年10.19はアベロクさんの
「ディス・イズ・プロ野球〜〜〜〜〜〜!」
に震え上がったものでした。
その翌年これがまたあなた例の
日本シリーズ3連勝から4連敗、
これがまた近鉄らしい。
ご存知の通りかの球団はそれまでたった一度たりとても
「日本一」
の経験のない唯一の球団でして、
ここまで来てあと1勝、
それが勝てないかと。
そこへ華々しく現れたのが新日鉄堺および
ソウル五輪のエース、
野茂英雄。
8球団の競合から、
前年最も成績のよかった仰木監督が
最後のクジを引くというか取りましてね。
(ちなみに日本シリーズを戦った巨人が指名したのは
 大森剛。のち近鉄。
 今は巨人スカウトとして坂本を見つけてきたりと
 辣腕をふるい「超・大器晩成」などと言われます)
それが文字通り「残り福」。
阿波野、小野、高柳、加藤哲そして抑えの吉井に加えて
こんな凄い選手が来てくれるのかと。
これはもう日本一やと。
もうキャンプから目は釘付けですよ
なんですかあの見たこともない投球フォームは。
しかしそれは一目見ただけで
練り込まれた彼の「ナチュラル」だと理解できた。
あの大きなお尻が巌のように安定しててね。
決して目くらましではない。
その実力はシーズンが始まるやすぐ明らかになりまして、
初勝利が日本タイ記録17奪三振なんですよね。
もう毎試合、ABC・MBS始め関西局が流してくれる
近鉄・野茂登板試合
が楽しみでしょうがありませんでした。
いや、一球一球が、
楽しみなんです。
ストレートとフォークしかない。
だからド素人でも、
「次の球はストレートかな、フォークかな!」
と楽しめるわけです。
打者を追い込む、ここは消えるフォークに違いない、
振りかぶる、投げる、
剛球が真ん中高めへズドン!
呆然と見送るバッター、
狂ったようにストライクコールを叫ぶ球審、
キャッチャー山下が得たりとばかり
ボールを放り投げてチェンジ。
そして花道を去る歌舞伎役者のように
堂々とマウンドを降りる野茂。
まさに一場のドラマでした。

そんな薄い野球好きの僕が呆然としたのが、
彼がモヤモヤと揉めてメジャーへ挑戦すると
決まった時の、「中央」の反応です。
このムックにもありますが
いやそれはもう悲観的、冷笑的、自虐的、
「通用するはずがない」
のオンパレードでしたとも。
なにを言うんだと。
もう一度言いますがプロ野球史上他に誰もやってない
4年連続最多勝投手、
NPBが生んだ最高の投手の一人と言っていい。
その彼が通用しないのであるならば、
それはもう誰も通用しない、
つまりNPBはメジャーより遥か格下のリーグであると。
そんなことをね、
もし事実がそうであったとしても、
関係するものが言っていいものでしょうか。
それがあなた。
95年のあの大活躍ですよ。
新人王奪三振王そしてオールスターで先発。
「胸がすく」
とはこのことでして、
こんな巨大なストーリーを前に
えらく卑小な感想で申し訳ないですが、
「あっ、都にいる人は田舎のことを何も見てない」
と思いました。
もちろん今でもそうです。
当時より状況はさらにひどい。

山あり谷ありの野球人生でしたが、
誰もがその闘いに敬意を持たざるを得ない、
そんなヒストリーでした。
超高額長期契約もない、
どこかの球団の顔として手厚く護られたわけでもない、
優勝すら、たった地区優勝1回です。
セレブでもなんでもなくオフはとんねるずの番組で
全身タイツ着て「モジ茂」をやり、
涙と花束とスポットライトと歌手のライブと名セリフに
彩られた引退セレモニーすらなく、
引退の言葉は
「悔いは、ある」。
それでも「ヒデオ・ノモ」の名を出せば、
あのバリー・ボンズが思いの丈をしゃべりまくり、
北京五輪キューバ代表チームが、
あれから20年も経っているのに
「ノモはいるのか」
と震え上がる。
これを男と言わずしてなんと言いますか。

サムライはいますよ、そこらじゅうに。
ちゃんと見てないだけです。

デビューイヤー90年はちょうど僕が大学生になった年でして、
まあ大学は生ぬるぬるぬるぬるぬるとは言え一応、
「子ども」であることを止めなければなりません。
これからどないしたらええもんやろう、
と思い悩んでいた若者にとって、
あの、全ての邪心や邪念を振り払うかのような、
渾身のトルネードは、
勇気をもらうとかそんな生やさしいものではなくて、
なんというか、
自分自身でした。
渾身の力を振り絞ってストレートを投げ込めば、
きっとだいじょうぶだと。

実は世の中厳しくて、そんなこと全然なかったんですが(笑)
まあでも、今でも僕は、
あんな真っ直ぐが投げたくて、
いつも心はトルネードです。

君のこころに、竜巻は巻いているか。
君のこころに、英雄は、いるか。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) |

2008年12月04日

本「日本のたくみ」 白洲正子



「今白洲正子に凝ってんねん」と
13歳からの親友がメールに書いてきたその日に
たまたまBSで白洲正子の足跡を遊ぶ、
みたいな番組を観てしまい、
これもなにかの縁かとAmazonしました。

最高。

これは読んどけ読んどけ。
というか見とけ。
ため息出るような写真たくさんあるから。
頭ぶん殴られたような気がしました。
私は日本のことを、何も知らない。
これ本連載が昭和55年今から30年近く前なので、
この本からさらに失われたモノやヒトや技術が多々あると思いますが、
今でもまだいくらかは残っているはずだ。
たとえば土鍋の福森さんなどは「ほぼ日」で売ってるよ!
http://www.1101.com/store/donabe/index.html
こんなに「いいもの」がこの土
(と書いて「くに」と読んでクレイ)
にはたくさんあるのに、
私達は一体、なにを求めて日々生きてるんでしょうな。

紹介されている「たくみ」もそうなのですが、
正子姐さんがこれまたカッコイイ。
人柄は文面から匂い立つものですが、
美とまたそれを生み出す人々への執着心と敬意が
噴き出るような、簡潔な、
手刀で白木を切りっぱなしたような、
ボキャ少なくてお恥ずかしいですが
「カッコイイ」文章です。
私あの「カッコイイ女」っていうのに非常に弱いのですが、
まあまず滅多居ません。
「強い女」っていうのは掃いて捨てる程いるんですけどね。
その差は美学です。
女の人ほんと合理的なので、
勝とうとするとつまり「強く」あろうとすると、
美学のビの字も無くなるんです。
もちろん母となる性はそうであるべきだと思うのですが、
これがなかなか男の者には引いちゃうところ。
一例としてヒラリー・クリントン女史をご覧なさい。
あの勝つためには悪魔だって食い殺さんばかりの顔。
あんなにYMCAだったビル兄が養分吸い取られて
ヨボヨボになってますがな。
あれでは、つらい。
しかし自らも美の虜であった正子姐さんが
美学の塊にならないはずはなく、
それが非常に抑制の効いた文章に表れています。
もっと言いたいことは多々あるんだろうな、
というところを自らを抑えて対象を浮き彫りにする。
強い精神力と厳しい鍛錬を伺わせる名調子です。
日本文化だけじゃなくて、日本語の勉強にもなるよ!

よいものは、長年の鍛錬を積んだ職人が、
その人生の何十分の一かを費やしてようやく造り出すものであり、
まさに我が子同然。
高価であったり入手性が悪かったりするのは、
物理的に当然のことです。
最近はあまりに簡単に安価に
そこそこのものが手に入りますから、
その事実を忘れてしまいがち。
モノの後ろには、それを造ったヒトがいる。
その「あたりまえ」に対する敬意と感謝の念だけは、
忘れてはいけませんな。

旦那さんはご存知「従順ならざる」白洲次郎。
片や能を舞う伯爵の娘、片やブガッティを乗り回すケンブリッジボーイ。
出自の薩摩をちょっとからかわれて正子が平手打ちを喰らわせば、
次郎は次郎で晩年夫婦円満の秘訣を聞かれて
「一緒に居ないことかなぁ」
お似合いと言えばこれほどお似合いのカップルもおらず、
なんといいますか、まあ、
世の中うまいことできてるものです。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年11月30日

本「動物の言い分 人間の言い分」 日高敏隆



日高先生の御本が面白かったので、つい手に。
先日のよりもさらに動物エッセイという感じで、
気軽に読めます。
英語では「カエル」と「ガマ」が違うのはごぞんじでした?
frogとtoad。
だから「FinalFantasy」シリーズに出てくるのはあれ
カエルじゃなくてガマ(ヒキガエル)なんです。
生物学的に言うと胸骨が硬骨か軟骨かで区別されるそうです。
蜂でもBeeとWaspがあって、
日本語では便宜的にミツバチとスズメバチと訳しますが
微妙に概念がズレてるらしく、
ハナバチと狩りバチと訳してもまだズレてるそうです。
もっと言うとMonkey(真猿類)とApe(霊長類)を区別する言葉が日本にはなく、
全部「サル」。
だから先生「The naked ape」(人間のことですな)という本を訳す時に
「裸のサル」
と訳すしかなかったわけですが、
微妙〜に印象がズレちゃうわけです。
サルと聞くとニホンザルを始めとする
モンキー達を思い浮かべてしまいますからね。
「日本では○○を表す時にこんなにたくさん区別する、
 だから日本語日本人繊細でステキ!」
みたいな酔っぱらい話がよくありますが、
注意して区別している対象が違うだけの話です。
RabbitとHare、MouseとRatなど、他にもいろいろ。
ま、そのような知ってるとちょっと楽しい話がてんこ盛り。

お宅のネコに一匹、
ドアノブに手を掛けて「開けてくれ」と合図するのが
いるそうですが、
ウチのミル吉はレバー式の引き戸を開けてしまいます。
立ち上がって水平のレバーを下に下げて、
そのまま身体を巧く捻って引きのモーメントを発生し、
開けてしまう。
僕の寝てる部屋がそれでして、
だから冬は寒くてしょうがないのです。
それはいいのですが、
問題はコイツはどうしてそんな技を身につけたか。
まさか人間のやってることを見て覚えたわけではありますまい。
結局はトライ&エラーだと思うのですが、
それにしたって
ネコは「とびら」を認識できるらしく、
扉状のものを前にするとそれがピッタリ閉まっていても、
「こいつは開閉するはずだ」
という顔をしてますな。
あれ不思議ですよね。
そして場合によっては身体を伸ばしたり
爪でカリカリやったりして、
開けてしまう。ドアでもふすまでも。
いくら狭いところが好きって言っても、
扉を開けた先が狭いとも限らないと思うのですが、
「そこにドアがあるから」
開けたくなるんでしょうなぁ。
しかし自然界にそんなものがあるはずはなく、
あれはどこから来た習性なのでしょう。
ネコをたくさん扉のついた部屋に閉じ込めて、
扉を開ける動きで発電すると、
豆球ぐらいはたまに点けることができるかもしれません。
ネコ発電。

さすがワールドクラスの研究者だな、と思ったエピソードが、
アンカレッジの空港には
待合ロビーに巨大なクマの剥製があるそうですが、
「後ろへ回って見てみるととても可愛いしっぽが」
このね、「後ろへ回ってみる」っていうのが研究者魂ですね。
普通はそんなもの「わーデケー」って驚いて終わりですよ。
知的好奇心はいろんなところで効いてくる、
実に強力なエンジンです。

余談ですが、
先の御本でも思いましたが、
映像ではない、文章だからこそ伝わる(伝えやすい)面白さ、
というのは確かにあって、
動物系のTV番組を観て楽しむのとは、
また違った面白さがあります。
このテーマに限ったわけではありませんが、
想像するが故の楽しみというか。
受け手の時間的にも余裕がありますしね。
もちろん百万言よりも一枚の絵の方が雄弁なことも、多いですが。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年11月29日

本「仕事道楽」 鈴木敏夫



ジブリの名物プロデューサー、
鈴木敏夫さんの語りです。
この本を岩波の井上一夫さんが出そうと思った
理由というのがふるってて、
「普通の人には宮崎さんの真似はできないけど、
 鈴木さんの真似事ならできる」
そうですよ、
だからNHK「プロフェッショナル」の鈴木さんの回は
宮崎さんの回に負けず劣らず面白かったのです。

読んでて思いましたのは
考えてらっしゃることが常にシンプルで現実的で、
本質的ですな。
難しい戦略や「コンセプト」「ビジョン」的な話は、
じぇんじぇん出てこないですよ。
わかりやすい。そしてうなずける。
とにかくいい作品を、いい映画を作るには
どうしたらええんやと。
そこから逆算して、全てを企んでいく。
先日ご紹介しましたジョブズ師匠の本でもそうでしたが、
つまり結局、
「これスゴイなあ!」
と思うようなものは、
その真摯な気持ち、
「ええもん作んで〜〜〜」
というところからしか生まれない。
ええもん作るために「作り方」や「やり方」があるわけで、
逆ではないのです。
この作り方をすれば、ええもんができる。
そんな魔法みたいなやり方は、ない。

わたしゃそれを3-4年掛かって思い知ったよ。
一生懸命「うまい」やり方探してさ、
こう、いくつか「こうすべき」みたいな箇条書きをしてさ、
でも結局、
最後はいつもいつもキーボードの前で悶えるのさ。
一回一回、作り直し。
新品新型新方式でござる。
それは、僕が未熟だからというだけではなくて、
つまりものづくりというものは、
本質的にそうなのです。
いまという環境にフィットしたなにごとかを、
無からカタチヅクル。
その行為そのものが、確固とした方法論など寄せ付けない、
ぐにゃぐにゃでぶにょぶにょとした、
魔物のようなコトなのです。
だから面白いんですけどね。
とてもとてもとても、疲れますけれども。

鈴木さんの字はすごく個性的でグラフィカル、
「ポニョ」の題字など
ジブリ関連の書籍その他でよく見かける
あのちょっと可愛くてオシャレな字がそうです。
この本にも多数載っており、これ見てますと
ああこの人は「アニメのプロデューサー」に
なるべくしてなった人だな、と思います。

余談ですが
画家と作風はイメージがフィットしますが、
字と書き手は一致しませんね。
声と声優さんとかもそうですけど、
抽象度が上がるとその分、自由になれるのかもしれません。

本田宗一郎に藤沢武夫、
井深大に盛田昭夫、
名コンビは多々ありますがやはり
宮崎駿に鈴木敏夫あり。
この出会いがなければ、
あの名作の数々が生まれていたかどうかわからず、
二人にとってというよりは、
誰にとっても幸福な出会いでしょう。
つくづく人の世は、縁やねぇ。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年11月26日

本「スティーブ・ジョブズの流儀」 リーアンダー・ケイニー



どなたかだったか忘れたのですが
さほどお洒落にこだわりたくないけど
自分に似合う格好はしたい、そんな場合は
「アメリカ映画の好きなキャラを真似ればいい」
とおっしゃってまして、
な〜るほどと。
その人の魅力と個性を最大限引き出すように
プロ中のプロがついてますからな。
となればワタクシが真似たいのはもちろんこの人
名優・スティーブ・ジョブズ。
タートルネックにジーンズにスニーカー、
メガネそしてハゲ。
真似してるんですよ!
風呂場で抜いてるんですよ!

訳者三木氏が巻末に書いておられるように、
豊富な取材で事実を元にスティーブ(とアップル)の戦いが
描かれており、ヨイショ本でもヤッカミ本でもありません。
彼とアップルの最近の快進撃の秘訣が知りたければ、
いや、iPodや最近のMacを見て
「こんな美しいデザインはどうやって生まれるのだろう」
てな疑問をお持ちになれば
この本を開いてみるよろし。
あれらは決してジョナサン・アイブの天才性から
生まれるものではなく、
少数精鋭ながらもチーム一丸となった
ハードワークの賜物です。
こんな本読むといっつも思うんですけど、
またNHK「プロフェッショナル」とか見てると
いっつも思うんですけど、
能力高いヤツほどハードワークやっており、
たぶん仕事がおもしろくてしょうがないんですな。
そしてますます差が付いていく。
つまりそこまでは、
「ああこりゃおもしろい」
と思えるレベルに達するまでは、
這いつくばってでも到達しろ、
ってことです。
こんな本読んでると彼我の差に
「こんな世界俺にはムリだ……」
とか思っちゃいがちですが、
所詮誰しも人間です。
確かにMacBookAirは極めて美しい。
しかしボトムケースは歪む(笑)
凡夫が凡庸にデザインした3か月経つと忘れ去られる凡作でも、
なかなかボトムケースは歪まないよ(笑)
まあ、がんばってりゃそこそこのことはできますわ。
魔法はない。
あるのはただハードワーク。

ジョブズ一家はこないだ洗濯機買うのに
二週間毎日ミーティングしたんだって。
「どれが我々にとってベストか」
を洗濯いや選択するために。
お父さんにつきあってあげるご家族がエライと言うより、
あのお父さんにはそんな気にさせるなにかが
噴き出しているんでしょうな。
現実歪曲空間が。
存在そのものがおもしろい人間などというものは
そうザラにはおらず、
これからも健康であと20年ぐらいは、
僕らを楽しませて欲しいものです。
one more thing!

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年11月21日

本「デジカメに1000万画素はいらない」 たくきよしみつ



非常に扇情的なタイトルで(笑)
思わず手に取り、
もちろんその主張も万言費やすよりもカラー写真で一目瞭然、
なのですが、それ以外にも
デジカメならではの撮影の基本や後処理のいろいろが、
コンパクトにまとめられていて良著です。
写真よく撮られる方は書店で覗かれるのをオススメ。

もうね、一般の人も気づいてるっていうか、
2年前にね、おばあちゃんの通院につきあってた頃、
リハビリ中暇なもんで喫茶店で珈琲飲みながら本読んでますと
隣に熟年写真カップルみたいな怪しい二人。
どうも夫婦ではなくて写真マニアとその弟子みたいなノリなんですが、
弟子であるおばさまが
「最近カメラ買い換えたんですけど、
 画素が多くなったんですけど、
 前のカメラの方がキレイなんです……」
師匠のおじさまはその素直な問いに対してしどろもどろですよ。
2年前というと1/2.5型720万画素ぐらいの
デジカメの歴史の中でもトップレベルにどうしようもない素子が
コンパクト機に載ってた頃で、
天下のCanonの天下のIXYがデジカメWatchで
「(画質が悪すぎて)不良品かと思ってサービスに送った」
とキッパリ書かれた頃です。
最近はさすがに、
これじゃいくらなんでもマズイ、という危機感が
メーカー内でも共有されてるようで、
とにかく感度上げて画像処理エンジンで弄くり倒して
なんとか「キレイっぽい」絵にしようと奮闘努力してるおかげで、
(あと手ぶれ補正メカの進歩もあってシャッタースピードも稼げてるので、
 ブレ写真が減ったのも大きい)
パッと見はその頃に比べるとかなりマシになってます。
それでもそれは所詮パッと見であって本質ではなく、
ユーザーはそのへん非常にシビア。
たとえば、ですが
「このままではコンパクト機最後の名機になってしまう」
と言われている画素競争に半分だけ背を向けつつ
高感度画質の強さで一世を風靡した
FUJIFILMのFinePix F30/F31fd、
これのデッドストックが新品当時より高い値段で売られてたり、
中古がヤケクソに高い。



18日現在で35800円ですよ。
で、FUJIの現在のフラッグシップ、FinePix10周年モデルとして
鳴り物入りで投入されたF100fd、
はるかに高いスペックで、同じ時間で22000円。



まあ、安売り合戦の激しい現行機と
どんな価格でも受け入れるしかない中古を比べるのはフェアではないといえばそうですが、
評価の一つではあります。
ま、だから、
お客さんそのものが、
もう背中を向けつつある、と。
デジカメは低価格化で厳しい厳しいと言いますが、
それは、発泡酒や第三のビールを投入することで
みずから「若者のビール離れ」を招いたビール業界と同じ、
「自業自得」ではありますまいか。
一方サントリーはプレミアムモルツをヒットさせ
ビール事業46年で初めての黒字ですよ。
さて、どうするんですかと。

世界で最も本質を突くオッサンの一人、
スティーブ・ジョブズが記者に問われ、
「iPhoneのカメラ200万画素って少なくないですか」
「画素数は画質となんの関係もないよ」
これは本来、カメラ屋が言うべきことでしょう?

だからね、僕思うんです。
文句ばかりではいけませんから提案しますと、
ロールスロイスをやるんです。
つまり画素数非公表!
「美しい写真が撮れます」
ただそれだけで勝負するのです。
1000万画素とか何倍ズームとかレンズのf値がどうとか、
そんなことはどうでもいいじゃないですかと。
画面で見てくださいプリント見てください、
この写真が今あなたのお手持ちの古いデジカメで撮れますか、と。
小型軽量薄型も多機能もいいんですが、
やはり最後はそこだと思うんですけども。
「ああいい写真が撮れた」
というユーザー体験。

もうすこし、胸を張ればいいと思う。
そして胸を張ってやれないことは、しない。
posted by ながたさん at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) |

2008年11月20日

本「動物と人間の世界認識」 日高敏隆



つまり動物も人間も一種の「イリュージョン」でもって
世界を認識しており、
あたりまえのことですがそのイリュージョンが変われば、
世界そのものも変わる。
モンシロチョウが紫外線を「見ている」のは有名ですが、
それで言うとオスの羽根色
(としてチョウが見ていると考えられる色)
とメスの羽根色は全く別なものだそうです。
私達はどっちも白に見えてますが、
彼ら彼女らからすればぜんぜん違う。
それは人間社会でもそうでして、
習慣にせよ宗教にせよ、
この広い世界にはまったく違う世界認識で生きている人々が、
おたがいのそれを「おかしなもんだね」と思いつつ
暮らしています。
それが人の手で作られたイリュージョンに過ぎないことは、
少なくとも近代以降の市民であるならば
誰しも「知っている」ことなのですが、
ソレがなければ世界が認識できない、
つまり生きていけないがゆえに、
ソレの性能の良し悪しは別にして、
ソレを守りたくなるものです。
日本にいるとまったく肌感覚として理解できませんが、
アメリカでは中絶と同性愛が
今も巨大な政治テーマで、
いい加減な日本人からすれば
「ケースバイケースでええやん」
とか思っちゃうわけですが、
あの「全員で同じイリュージョンを抱く」という大前提が
国家の基礎になっている国においては、
(と書いて思いましたが「国家」という言葉が
 今や一番似合うのはアメリカですな。
 逆説的なことながら)
「イリュージョンが違う」というのは大問題。
だからケンケンガクガクやって
イリュージョンの、つまり世界認識のすりあわせを
やってるわけですな。
もちろん他人事ではなく
気がつけば国技の決勝戦を
モンゴル人とブルガリア人がやってる我々も、
そろそろイリュージョン摩擦に対して、
「そういうものだよね」という気構えぐらいは
持っておいた方がいいかもしれません。

摩擦が起きた時、
人はその摩擦をなんとかしようとするものですが、
その際、
「摩擦は起きるもの」
と捉えて現実解を探す、
これがいちばん建設的です。
摩擦の原因を探ったり、
さらにいえば「どちらが正しいか」を考えることも
不要かも知れません。
日高先生の目は、モンシロチョウやネコを通して、
「世界認識とはなんぞや」
を優しく説き起こしてくれています。もちろん、
ご本人の書いておられるように、
それさえもイリュージョンなのですが。
「科学(の大部分は)イリュージョンに過ぎない」
と言い切れる科学者ほど、
信頼できるものはありません。
ま、ただ、日常生活では、
「君に幸せのイリュージョンを見せてあげるよ」
と正確に言ってしまうと、
プロポーズの言葉にはならんのですが。
しかしそれが事実であるところが、
人生の可笑しみでもあり哀しみでもありますな。
「認識次第でどのようにでも生きられる」
という自由を与えられてしまった人間は、
その自由を謳歌しつつもその自由に苦しむのです。
それは近代人のみならず、
ヘビに知恵の実を薦められたあの日から。

posted by ながたさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年11月13日

本「司馬さんは夢の中1」 福田みどり



司馬ファンですから。
みどり奥様は本名福田定一の同僚で、
「うちの部で小説書いてるヤツがいると聞いて
 てっきり松見(旧姓)だと思った」
と言われるほどの筆達者。
愛する夫を失った哀しみがこれでもかと描かれております。
でも彼女をとりまく人々と思い出が
あまりに美しすぎて、
哀しみよりも豊かさ、しみじみとした穏やかさ、
そんなものが伝わってくる、叙事詩のようなエッセイです。

私も書き物屋の端くれやっておりまして
もうそろそろ10年、段々わかってきましたのが、
本気になってきますとどんどん
「自分」が無くなっていきます。
これは文章のみならず音楽でも絵でも写真でもそうだそうで、
写真家の方でも
「これ撮ったの俺か?」
というようなものが、やっぱりいい写真だとか。
それはいいのですが、そうなってきますとつまり、
社会性が無くなってきまして(笑)
着るモノに頓着しなかった司馬さんは
あるホテルの朝、散歩に奥様のジャケット、
花柄のスカーフがポケットから出たまま、
で出かけたそうで、帰って指摘すると
「なんか小さい思たわ」
ま、ここまでいかんと、
自分などと言う小さい枠を抜け出して
世界に、歴史に羽ばたかないと、
あれだけのものをあれだけ大量には創れないんですなぁ。
わたしなぞ生協の袖無しちゃんちゃんこ1980円を
ラーメン屋まで着ていくので精一杯です。

そんな旦那を持った奥様ももちろんかなりの強者で、
強烈な方向音痴、ある時奈良で人に道を聞くこと2度、
どうしても辿り着かないのでもう1度聞いてみたら
「あんたさっきからワシに3回同じ事聞いてるけど、
 まだつきまへんか」
まあ、こういう方でないと、つとまらん。
人の縁とはよくできてるものです。

国民作家の知られざる一面を楽しむもよし、
(司馬さんの偏食は自分でもエッセイにお書きなのですが、
 「牛肉が大好き」とはご自分のものからは知り得ませんでした。
 人間やはり出したい情報と出したくない(あるいは意識しない)情報が
 あるようです。
 風邪恐怖症のくだりも面白かった)
愛とはなにかを考えるもよし、
心に染みる一冊です。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年10月08日

写真集「ラブホテル」 都築響一




書店をフラフラ彷徨ってますと
目につきまして、めくったらもう負け(笑)
「人間というものはここまで悪趣味になれる」
と妙な可笑しさとちょっぴり物悲しい気分に浸れる、
ステキな写真がてんこ盛り。
タイトル通りラブホテル、最近の言葉で言えば
ファッションホテルの趣向を凝らした一室を
撮影したものですが、
これはもう「ラブホテル」としか言いようがなく、
まさに名は体を表す、
ファッションホテルやシティホテルという名では
ここまでのことはできますまい。
屋形船、ロココ調、宇宙空間、岡本太郎的壁画、
二階からウォータースライダー、
部屋の中にメリー・ゴー・ラウンド、
あるいは白馬が引く馬車がベッド。
実用面?でも円形ベッドの四隅に鎖つき革手錠のお部屋など、
こんなもん映画のセットでも見たことないという
人類の創造力そして想像力の限りを尽くした
アホ部屋(超誉め言葉)が並びます。
外国のことはよく知りませんが、
これは日本の誇るキッチュ・カルチャーの一つなのではないでしょうか。

姉妹書に「イメクラ」がありまして
こちら覗いただけですが、
これもかなり面白可笑しい写真が並んでました。



「学校で」というシチュエーションにも
「襲う」「襲われる」
という分別があるんですな!
どっちでも使う部屋は教壇の後ろに
お布団の敷いてある不思議空間なのですが。
すごく人気のあるのは体育用具室だそうです。
バーチャルコンテンツでよく見る割には、
ほとんどの人に実経験がないので
(そもそもリアル用具室は狭い臭い埃が凄い)
こう、やってみたく、なるのかもしれません。

「エロ」と「笑い」は近しいようでいて
実はかなり相性が悪いです。
それはなぜかと考えますればこれこのとおり、
エロには最初から笑いの成分が含まれているから。
エロ的行動はたいてい真剣そのものでして、
人間の行動というものは
真剣になればなるほど、
なんとなく可笑しみが含まれてくるものです。
それはもう手元のAVどれでもよろしいので
早送りボタンを押しながら観ますと、
突然おもしろい。
そんなものです。

その持てる知恵と力と技のすべてを
「愛し合う二人のために」
振り絞る「ラブホテル」関係者、
またそれを企画し造りメンテする人々に、
カンペイ。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年10月01日

ゲーム「クイズマジックアカデミー」コナミ



ろみゅさんがついにTVをお買いになったというので、
到着前夜祭という名目でただ呑みたいだけですすみません、
と集まってやりましたのがこれ。
4人でやるとすンごい面白った。
対戦の面白さが口コミで広まったのか、
品切れが目立ちます。
が、喜連瓜破のJoshinで初回版が4000円台で売られていたのでガッツ。
あそこiPhoneの時も人っ子一人居なかったし穴場だなぁ……
で、プレイしてるのですが、
1人でやると楽しさ1/7ぐらい(笑)
もちろん物足りない場合
Wi-Fiで全国の見知らぬ人と対戦です。
熱い。
大阪のシャロン型(高飛車)が来たら
私かもと思ってください。

ごく当たり前のことですが、
「あっ、これはDSのゲームだから小中学生もやってるのか」
と思うのが
「鎌倉幕府の初代将軍は?」
なんて問題でも普通に間違えたりする人が居るのです。
その代わり最近のアニメやマンガの、
僕まるっきりわからん問題周りみんな即答だったり。
なんだかそういう、シームレス感というか
垣根の無さが、ネット時代ですねぇ、と。
問題のレベルは、
最初は「こんなもんかな」という感じだったのですが、
一つ上のランク上がるともうジャンルによっては
お手上げという感じです。
芸能とか0点平気でとれる。
ぜんっぜんわからん。
ちょっとクイズにはうるさいよ、という方も
長く楽しめると思います。
これ一個あると暇という暇が潰せますな。

「『ドラえもん』の作者は?」
という問題があり選択肢に
「方倉陽二」
の名があったので、
目が「へへへ」の「ドラえもん百科」で育った私らの世代、
「方倉先生今何されてるんだろう」とペディって見れ
なんと97年にお亡くなりになってました。
残念です。
クイズには、そんな知識との出会いもあります。

難点はクイズものなんでもそうですが、
止め時が掴めずにずるずるやっちゃうことでしょうか……
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年09月27日

本「三鷹の森ジブリ美術館 GUIDE BOOK」 徳間書店



まだまだ「ポニョ」づいてるながたです。
ちょっと資料探しに行った書店の旅コーナーで、
この本を見かけ手にとって中覗きますと
よくあるペラペラのガイド本ではなく
やったらめったら詳しく丁寧かつ内実に切り込んだ編集で、
これは愛がある、ひとつ資料としてさえ価値がある、
と思い買い求めてみたところ徳間やった(笑)
まさか徳間の本が「るるぶ」とかと並んでるとは思わんやん(笑)
ということで本国仕様なので、
行く予定が無い方でも楽しめる本です。
でも、
すんげー行きたくなりますよ。

なんと言いますか、ガイド本の価値って、
情報量と質・鮮度もさることながら、
広告業界でいいますところの「シズル感」、
そうつまり
「行ってみてぇ〜〜!」
という気持ちにさせるところ、
そこに大きな比重があると思います。
むしろ今はどんな伝統・どんな辺鄙な観光地でも、
いやそういうところほど、
ネットでホームぺージ持って思いのままに
思いの丈を綴っている時代ですから、
単純なストレート情報では負けてしまいます。
本あるいは雑誌たるもの、
一覧性と比較対象性、
ポイントを重みづけする編集力に加えて、
「本人では気恥ずかしいような盛り上げ」
をどんどんやっていただきたい!

私事ですが東京は小平市に住んでたことがありまして、
環八越えてからが東京ですな!
武蔵の国でござる。
前も言ったかも知れませんが、
樹が高いんです関西に比べて。
風が強くて、ローム層の細かい赤土が飛んで、
空が広い。
自然がしっかりある。
大阪はね、無いの。
奈良や京都や神戸の人はすぐ山があるから
駆け込めるけど、
大阪には、無いの。
夕陽見ながら大阪湾に飛び込むしかない。
さらに東へ行くとさすがに山深くなってきますが、
あのへんは中央線に飛び乗ればあっという間に都心ど真ん中、
ああなるほどこれだけ巨大で豊かな後背地、
生産にしろ消費にしろ生活にしろ、を持っていれば、
そりゃ都市として巨大化するわ、
と思ったものです。
僕が居たのは小6の頃、つまり今から25年から前でして、
四谷大塚のある月のテストで行った三鷹の駅前は
小平と比べても非常にあっけらかん、
のんびりしたものでした。
それこそ今で言うと茨城のどこかの駅前みたいな感じ。
そんな頃のイメージで、
東京に住まなあかん羽目になったら
吉祥寺とかいいなぁ、
と軽い調子で言いますと東京の友人に
「なに言ってんですか!今あのへんめちゃめちゃ高いですよ!」
と一喝されました。
実際何度か連れてってもらって
美味しいパスタとか食べたのですが、
記憶の中にあるあのへんとは打って変わって
すごく活気があって、いい街でした。
緑、アクセス、活気。
人間快適なところを見つけるのはめざといですよね。

話が逸れっぱなしですが、
子供達向けにジブリ美術館があるなら、
中高生向けにサンライズ美術館があるといいと思った。
倉田光吾郎さんの等身大ボトムズがお出迎え。
体験コーナーでは
ハヤトの射撃に命を託すリュウさんの気持ちが満喫できたり、
憧れのホワイトベースのキャプテンシートで
有線電話取り上げて弾幕指示もできちゃったり。
短編映画は全部血なまぐさく全部最後イデ発動。
やー、たまりませんなぁ。
無理やね。

先日ご紹介しました「ポニョ」のムックでも思いましたが、
ここでもスタッフの笑顔が自然で素敵。
やはりこういう顔ができるように仕事をしたいものだ、
いやすべきだ、
と意を強くしましたよ。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年09月24日

本「もやしもん」 石川雅之



界隈では有名なのですが(なに界隈だ)
一般の方には知名度まだ薄いかなと思いご紹介。
「菌」の見える種麹屋の息子が
農大に入って巻き起こすコメディです。
……と、聞いただけでなにかが起きそうでしょ?
面白いマンガは最初からパンチが効いてるものでして、
これも1巻1話から
樹教授がキビヤックを啜るシーンなど
読者のドギモを抜きます。
知らないことを一杯勉強させられつつかつ
生命の神秘、伝統の奥深さに触れられる逸品です。

最近ちょっと思うんですが、なんとなく世の中に
「農業はありなんじゃないか」
という雰囲気が出てきてませんか。
一つには食糧危機がどうやら本格化しそうだという
危機感もあるとは思うのですが、
もっと単純に
「おもしろそう」「やりがいがありそう」
ってところが人を引きつけてるのだと思います。
格差社会の逆説的ないい面として、
「金握ってもどうしようもねぇな」
という一面虚無感、一面達観がございませんか。
六本木だかどこだかの都心のタワーマンション60階に住んで、
完全空調空気清浄機入りの空気吸って
お取り寄せの地方名品を囓りつつ
ボジョレボジョボジョとかなんか変なん呑んで
55型最新鋭薄型TVで世界紀行を見る。
お一人様でね。
そこにはスペインの田舎漁村で暮らす
若いお母さんの姿が映って、
モノはなにもないけど手仕事と仲間と家族と団らんがある。
「幸せだわ。
 夫は優しいし、赤ちゃんは可愛いし」
ああそりゃあ幸せですよね!!と。
振り返って我が身はなんだこのカサカサは。
潤いも安らぎも慰めもなにもないこの生活は。
よしわかったもういい!
農業だー!!
そんな感じ。
数字とデータを右から左、
そんな仕事おもしろいわけないじゃないですか。
それをおもしろがれるのは、その数字が、
実体としてのなにかと直接繋がってるという
手応えを感じられるからで、
それがどんどん遠くなってる。
だから、
「あの時植えた種が、こんなに実った」
と手応えの感じられる農業、
「農」という営みに人々がまた、
ひかれはじめてるんじゃないでしょうか。

また当作品はイデオロギッシュなたとえば
有機農法マンセー、なものではありませんで、
ちゃんと菌の怖さもそれに翻弄される人間の姿も
描かれています。
私ら歴史・文学の方から行く人間ですと
「口噛み酒」
などというのは非常にこう
プリミティブ・エロティックなものでして、
年端もいかぬ巫女つまり聖なる処女がですね、
神様に捧げるために厳粛な儀式でもって……
という絵面を想像してしまうものですが、
無残に髭面の「笑い飯」の西田みたいな先輩が
やってのけて打ち砕いてくれます。
それどころか……いやそれは本編で。

楽しくてタメになる。
高校生に薦めて人類を農の力で救って貰いたい、
そんな力作です。
かもすぞー。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年09月21日

ムック「ロマンアルバム 崖の上のポニョ」 徳間書店



久しぶりにムックも買っちゃいました。
スタッフのインタビューが印象的で、口を揃えて
「とてもしんどかったけど楽しかった」
仕事はそれが一番ですなぁ。
アナウンサーの方なんかも難読名にぶち当たると
嬉しそうでしょう。
「ナパ・キャットワンチャイが井岡を追い詰める!」
プロとしての誇りと挑戦心が沸き上がるんですね。
やっぱり女性スタッフはポニョの絵が来ると嬉しい。
ので、制作チームはそういう手配をする。
そのへんの「案配」が今回は非常に巧く行ったみたいです。
そういえばジブリアニメではお馴染みの
「遅れてる遅れてる」漏れ聞こえが
今回はほとんど無かったような気がする。
なんといいますか、
やっぱり人間は正の方向、良の方向、
「これはみんなのしあわせになるんだ」
と確信できる方向の方がのびのびと力を出しやすい。
「ポニョ」はもう間違いなくそっち方向ですから、
観る人の笑顔に直結するなら、
カニも水魚もいもうとも描きましょうと。
なんとなくですが、
これからの「仕事」というものは、
どこかにそういう要素がないと辛いかもしれません。
誰だって今日会社へ行けば
汚染米をごまかすための作業が待ってると思えば、
イヤんなるわけでして、
そんなことは起こりえない職場でないと、
人手が集まらんかもしれない。
また逆に言えば、そういう気持ち、
「これは世のため人のため」
という気持ちを持てるように、
自分の仕事を見直すことができれば、
強い力を発揮できるかもしれませんね。

めくるとどのシーンにも記憶があって、
それも凄いと思いました。
たいてい、映画は長いので、何シーンか
「こんなとこあったっけ?」
というようなシーンがあるものですが。
そして美術のおぞましさよ。
画面観てる時はやはりキャラに目が奪われるので、
背景は縁の下の力持ちなわけですが、
しかし情報としては入ってきてるわけで、
そこがしっかりしてると画面全体の安定感が違う。
うまいケーキはスポンジがうまい。
まずいケーキはまずそこがケチられてる。
今までのジブリアニメでは美術はリアリティが高く
土台としてガッチリ支えている、というイメージでしたが、
今回はそれそのもので作品です。
パステルや色鉛筆のタッチの見える一枚一枚が既に絵本です。
すばらしい、としか言いようがない。

ムックとしてもそれはもう徳間ですから
いわば本国仕様、構成・内容とも非常に丁寧な作りで
これまた久しぶりに
「ああアニメの本っていいなぁ」
と思わせるよい出来映えです。
プロの仕事です。
ネット時代デジタル時代素人時代と申しますが
いや結局、生き残るのは、
こうしたプロ中のプロの仕事だけではないかと思います。
メディアやデバイスがなんであれ。

ああもう一度観に行こうかしら。
あとBDでいつ出るの?
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |

2008年09月15日

本「夢を食った男たち」 阿久悠




「詩はひととなり」と申します。
いや今作ったんですけど。
阿久悠先生と言えば代表作は、
の時点でもう困ってしまうぐらい、
なにかを出せば「いや違うこれだ」と思い入れたっぷりに
反論されるに違いないほどのヒットメーカー、
現代の大詩人でございます。
「津軽海峡・冬景色」「時代おくれ」「時の過ぎゆくままに」
「鳥の詩」「もしもピアノが弾けたなら」「舟唄」
そして「宇宙戦艦ヤマト」。
どんなジャンルでもなにが強いといって
「オールラウンダー」ほど強いものはなく、
あらゆる戦法を駆使する羽生善治、
どんな形からでも相手を圧せた全盛期の貴乃花、
例を挙げるとキリがありませんが
「なんでもできる」ということはつまり、
その基盤に強固ななにか、
真髄のようなものを掴んでいる、
のではないかと。
その意味でいえば
「ズンズンズンズンズンズンピンポンパポン」から
「せんせい♪ せんせい♪」から
「スターダストボーーーーーイズ!!」
までパッと「狙い撃ち」できるのはまさに
「勝手にしやがれ」って感じですな。
男性はあくまでカッコよく、
女性はあくまでしなやかに。
先生の描かれる人間像は、
大活躍された70年代後半から80年代前半の人々の気分、
「こうであったらいいな」
を象徴しています。
時代にフィットしながらも、のちのちまで歌い継がれる。
それはやはり大元のところで、
人間の本質を描いているから、だと思います。
こう並べてみると、
ジャンルは変わってもいつも「阿久悠節」がそこにある。
しかしでしゃばりすぎず、
どの歌も、歌い手や曲、そして捧げられた番組、
を活かすようなできばえです。
上に挙げた6曲の曲名を見てその歌い手を、
その歌声をその歌う姿を、
思い出さない曲はありませんでしょう。
これが素晴らしい。

彼が創り上げた最大の作品はいわずとしれた
「ピンクレディー」
であり、若い方には信じられないかもしれませんが、
「モー娘。」なんかの比ではない。
あの2年あまりは老若男女日本中がピンクレディーだったんです。
というか、つんく♂師匠もそうですし
秋元康さんとおニャン子もそうですが、
あれを見たプロデューシングの資質のある人々は
「あれだ、あれがやりたい」
と絶対に思ったはずで、
「TV時代の歌謡曲」というものが、
歌唱力があればいいなどというものではなく、
歌い手のキャラ作りから衣装・振り付け、
盛り上げ方とその維持の方法論まで含めた
総合エンターテイメントである、
と知らしめたことが凄い。
後の世への副作用が激しすぎたぐらいに。
今ではあのぐらい当たり前ですけども、
当時は曲ごとに奇天烈な衣装を着て
狂ったように飛び跳ねるあの二人は
まさに「UFO」に乗ってやってきた異星人にしか思えず、
だって歌となんの関係もないですやん(笑)
僕らは子供でしたからぽかーんとミーちゃんケイちゃんを
見ていただけですが、繰り返しになりますが
物心ついた大人にとっては
「チクショウ、やられた!」
ってな感じだったに違いありません。
……ってなあたりも当事者の立場から書いてあります。
なんでもその時の「スター誕生」でグランドチャンピオンになった
超期待の大物新人が清水由貴子さんで、
この2人はあまり期待されておらず、
で、あるがゆえにムチャをした、
せざるをえなかった、
のが逆に功を奏したそうです。
人間、どこでなにが起きるかわかりませんな。

それにしてもその頃、70年代っていうのは
世相が多少暗かった分、
現場でなにかと闘ってた男たちは、
熱かったんだなぁ、と思い知らされます。
石田達郎、当時キャニオン社長、にバーでポロリと
「1万トンぐらいの船借りて女性ばかりの洋上大学がやりたい」
と「思いつき」で言ってみれば翌日、
「押さえたから」
そんなもん今20000%不可能ですぜ。
個人個人のパーソナリティや能力、アイデアの問題ではなくて、
世の中のシステムが許さない。
で、あるがゆえに、大失敗もへんてこりんなことも
しょっちゅう起きていたのでしょうが、
まあ、それはそれで、
そこにいた人々にとっては、いい時代だったんだろうな、
と思います。
もちろんそういうフロンティアは、いつの時代にもあるんでしょうけども。
勃興期っていうのがなんでも一番おもしろいですね。
熱い心とハードワークさえあれば、
たいていのことはできる。

もうちょっとくどくどしいドロドロした本かなと
思いましたが、そこは阿久悠、
香る「昭和の男らしさ」とテンポ良い美文で読ませます。
やっぱり、この手の本で年数経っても
文庫化される、つまり読まれる、っていうのは、
良品の証ですな。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) |

2008年09月11日

本「朝バナナダイエット」 はまち。



カメラは好きだけど写真は撮らない、
クルマは好きだけどドライブは行かない、
健康情報は大好きだけど不健康、
そう
「言うこととやることは別」それがオタク道、
そんなながたさんにまたシンクロニシティが訪れました。
先日「バナる」というエントリを書いたのですが
http://hoenaga.cocolog-nifty.com/hoenaga/2008/08/post_1b12.html
次の日に弟がこの本買ってきた(笑)
いやこれホンママジでマジで。照れ隠しとかネタじゃなくて。

一通り読ませていただきまして、
つまり最新ダイエット方向をよくまとめてあるな、という感じです。
まず、
・ストレスを溜めない。
これ極めて大事なことです。
ストレスで太りますから、とにかく食事でも運動でも
「ああいややなぁ」と思ったら負けです。
痩せません。
なので、イヤやなとは絶対思わないような作戦を練るしかないんですこれ。
そして
・持続可能であること。
これも同じように、効くからといって
「じゃ一生それやりますか?」せめて
「また太っちゃったらそれできますか?」
という答えに「YES」を言えられるほうがよい。
で、具体的な方法としましては、
・宣言と記録。
「やってます」と周囲に言って、
また記録を残すことで、自分を追い込む。
これだけでも極めて効果が高いのは記録式ダイエットなどで既にお馴染み。
ついつい手が伸びるお菓子、間食、
それを切るだけでも総摂取カロリーはえらい減るものです。
おかき一枚なんカロリーか知ってます?
80kcalぐらいあるんですよあれ。
それ消費しようと思ったらどれだけ歩かなきゃならないかご存知です?
20分ぐらい。
駅一駅。
そりゃその一枚を囓らなければ、ずいぶん違いますよ。
そのために宣言と記録、これです。
・三食。
で、話がようやくバナナに入るのですが、
これ前のエントリでも言いましたけど、
二食より三食の方が身体的には太りにくい、
のはよくおすもうさん二食の例を出して知られるところだと思います。
でも朝なかなか食べにくい。
そこでバナナですよ、という作戦ですな。
生姜紅茶もそうです。
バナナはこの用途で非常に優秀な食べ物でして、
安価(一本50円〜)、栄養豊富、
用意・片付け入らず、フレッシュ、
甘すぎず味が濃すぎず飽きにくい。
腹持ちもいいので、
これ私の感覚ですが、
トースト1枚よりはバナナ2本の方が持つような気がします。
そして、バナナを食べつつ、
昼・夜はなにを食べてもいいけど
(これはストレスを増やさないため)
・夜食はやめなはれ。
これこれ。
夜の食べ物は身につきやすい、という面もあるのですが、
胃腸を休める、という意味もあります。
胃腸が調子よくなると、
消化吸収の効率が上がるからか、
身体の代謝が全体的に好調になりまして、
汗もよく出るような気もしますし、
まとにかく悪い要素はなにもない。
これ私の持論ですが、
できれば12時間、開けたいところです。
7時に食べて翌朝7時までなにも食べない。
(水はOK)

まあ、要するに、
普通の食生活を無理ない範囲で普通にしてれば、
人間の身体は適当なサイズに収めてくれる能力が
備わってるはずでして、
豊富な餌が常備されているイヌ・ネコでも
「たいていは」スマートなものです。
ただ、おそらく「生物」として必要とされる運動量よりも
非常にすくない運動量で済む生活、
また自然状態ではありえないほどのカロリーを
摂取してしまえるような生活、
を、営めるようになってしまってはいるので、
そこをなんとか、
ちょっと運動して、
ちょっとバクバク食べるのを控えて、
バランス良く、ってことですな。

習慣というのは恐ろしいもの、
また社会的常識というのは恐ろしいものでして、
私いま37なんですけど、
お酒、好きだったんですけど、
若い頃には友人の弟さんとなぜか飲み比べになりまして
ビールを2ケース空けたものさ。
しかしもう毎日は辛い。
それを、団塊世代のビジネスファイター達は、
毎日居酒屋にスナックにキャバレーに、
通い詰めたわけでしょう。
そらどっか壊しますよ。
自然ではない。

ということで、
朝、たまには一本のバナナを手に取り、
じっと見つめおもむろに皮を剥き
じっくり舌の上で120度ずつばらしながら
味わって食べることで、
今の自分にとって「おなかいっぱい」とはなにか、
そんなところを確認するのもよろしいかと。

ちなみにバナナみたいなものでも良し悪しがありまして(あたりまえか)
安いバナナよりちょっと高いバナナの方が、
美味しいです。
甘味はもちろん、香りとか、実のしっかり感とか、ぜんぜん違う。
あと傷みやすいので一気に買うより、
5本ずつ無くなりそうになったら買う、
というのがいいと思います。
コンビニでも売ってますしね〜。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) |

2008年09月10日

本「ローマ人の物語 迷走する帝国」上・中・下 塩野七生



帝国が安定期越え、瓦解に向かっていく様でございます。
どんな強力なシステムにも終焉の時はくるもので、
それは意外と、いや往々にして、その「強み」に起因する。
大帝国はもちろんのこと国境線も長くなり防衛正面も広くなり、
かつ様々なタイプの「敵」を相手にせねばならなくなり、
そもそもが危ういものですが、
いったんバランスが崩れ出すとほころびの手当のために
無理をして、それがまた別方面でのバランス崩壊を招く。
大きければ大きいほど、バランスを取るのが難しい。
現在でも超大国、というと
アメリカ、ロシア、中国の3つになると思いますが、
それぞれ大変そうですよね。
日本や、たとえばオーストラリアあたりでは
理解できない「超大国ならではの苦労」がある。
また下り坂の時って、構成員もいい時を知ってるものだから、
無理をしてみたり、悪化する現状を認識できなかったり、
一通り混乱を極めますなぁ。
皇帝が続々殺されるんです。
73年間で22人交代する。
それでは政策の一貫性もなかなか持てないですね。
他人事ながら坂道を転げ落ちる様を見てますと、
「ああそこはガマンすればいいのに」
と後知恵が湧くもので、
読むに辛い書です。

国境が不穏になるので軍人が皇帝になるケースが増え、
元老院とここで完全に分かれてしまいます。
政治のわかる皇帝がいなくなり、
軍事のわかる元老院(国会)議員がいなくなる。
そこで迷走するわけです。
んが、じゃあシビリアンコントロールがしっかりしていれば
うまく行くのか、っていうと、それはもう、
人間は核燃料をバケツで混ぜる動物でして、
こないだね、NHKーBSで「ブッシュの戦争」という
非常にいいドキュメンタリー(アメリカ製)やってまして、
ラムズフェルドがね、イラク戦やらかす前に、
参謀総長、プロ中のプロが
「治安維持には数十万人必要になる」
って言ってるのに、
「イヤ大丈夫そんなことないちょろっと行けばダイジョウブ」
これでゴーですよ。
ほんで案の定泥沼。
つまりその、いつでも問題はシステムじゃないんですな。
人材というか、モノを見る目というか。
それでも、見えたと思ってても見えてなかったりもするし。

塩野姐は前書きにて
「ローマ的な衰退の姿を見ていきたい」
と書いてありますが、
国に限らず、組織でも人でも、
坂道を転げ落ちる時の一般的なカタチとして
(原因ではなく)

・衰退の意識がない
・それに起因して当事者意識がない
・内輪で揉める
・うまく行った過去のやり方にしがみつく
・結果打つ手の多くが本質的でない

てなところですかね。
逆に言うと、
常に「危機感」、
という言い方がなかなか辛ければ、
「進化しようとする意志」
とでも言い換えましょうか、
それがあると、なかなか衰退しないものです。
Intelとか、あれだけ巨大な存在になってもなお、
「もっと!MOTTO!!」
とばかりに他の市場に雪崩れ込んできますし。
ま、それがあったとしても、
時代や環境の流れが凄すぎて
守りきれないこともあり、
巨大な波が過ぎ去ってしまえば
以前ほどの繁栄はなくとも
なんとなく低めながら安定飛行できてみたり、
諸行無常ですな。

ちなみに我が日本の議院内閣制はどうかと
嫌な予感がしたので調べてみますと、
73年前、1935年の32代広田弘毅から
91代福田さんの次の人まで、
のべ60人変わってます(笑)
この間に戦争やらかして国滅びかけて、
いや占領されて主権無くしたんだから滅びたといってよかろう、
高度成長からバブル起こして世界一になりかけて、
まあジェットコースター。
なんとも感想が述べにくい(笑)
posted by ながたさん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) |