2008年09月16日

「装飾を廃し、自ずからなる数字が紡ぎ出す安定の美」建築家・内藤多仲

言わずもがな通天閣・東京タワー・名古屋テレビ塔の設計者、
「塔博士」の愛称を持つ内藤先生のお言葉です。
実際、三塔とも作られた、描きこまれた美しさではなく、
その力学自らが美を醸し出していますな。
建築家たるもの、いや工業デザインたるものやはり
モノの本質、物性そのものが美に繋がっているのが
一番です。
こちょこちょなにかを付け加えたり、
ムリクリ曲線や曲面を使ったり逆にカクカクさせるのではなく、
すべての線や面に意味が無くては。
もちろん遊び心は必要ですが、
それをもできれば、機能的でありたいところ。

先日AppleのiPodシリーズがモデルチェンジしまして
大きく変わったのはnanoだけだったのですが、
横幅膨らんだ3代目から初代・2代目と同じ縦長デザインに戻しました。
「戻す」ということも大変勇気のいることだと感心したのですが、
それはともかくネット見てますと
「最近のAppleはデザインしてないねぇ」
あっ、バカモン、それは……
と僕が何か言うまでもなく
「バカモノ、『デザインしてないように見える』ってのが
 どれだけ難しいかわかってないな!?」
そういうことです(笑)
日本人のデザインリテラシーも急上昇中ですな!
余談ですが政局絡みで各党党首が記者会見など開く機会が多いですが、
バックの政党名入った衝立が各党かなり垢抜けてきてますね。
広告代理店とか入ってやってるんでしょうねあれ。
アメリカ大統領選みたいにワン・アクションごとに
プラカード作るのはやりすぎかとも思いますが、
基本的には「どう見られているのか」を意識するのは
ああいう立場の人にはいいことだと思います。
見る方の視点にも立つだろうきっと。
あれね、
初代nanoが出た直後にAKIBAWatchかなんかに
中国製パチもんnanoが記事になったんですが、
もうブサイクきわまりなくって、
あれって要するに四角が二つと丸が一つでしょう。
それで「美しい」と思わせるところにバランスさせる、
しかもフリーハンドではなくてメカニカルな、
あるいは使い勝手からの条件付きで、
これはなかなか簡単なことではないですよ。
そしてその方向は、往々にして、
シンプルにすることが目的化してしまって、
「確かにクリーンだけど物足りないなぁ……」
というモノにもなりがちです。
飽きるんですすぐ。
百円ショップの小物とかすぐ埋没しますね。
でも同じ籐の小籠でも、やっぱり3000円ぐらいした
「ちゃんとした」やつは、
数年あるいは十数年そこにあっても、
耐えるんですよね。
似たようなものなのに。
美しさを求める過程でシンプルになっていく、
シンプルにしていく過程で美しさが磨かれていく、
両方を意識できてないと。
で、次のお言葉。

「料理は引き算だ」
 コメディアン・寺門ジモン

となるわけです。
それはたぶん普遍の真理。
もちろん複雑なもの=悪ではなく、
そんなことを言いだしたら私達の身体なんて
極めて複雑な構造・組織・システムが一糸乱れず時々刻々活動しており、
自己否定になってしまいます。
ただ、
「要素を加えていく方がよい」
というのは、ちょっと違いますね、というおはなし。

先生は生活もシンプルだったそうで、
晩酌の肴はネギに味噌を掛けたもの一辺倒。
やはり作品は作者を表しますな。

余談ですが我が母校の校庭からは通天閣が見え、
夕陽をバックに輝く「日立エアコン」の文字は
この街のイヤになるほどの合理性を毎夕思い起こさせてくれました。
そうエッフェル塔だって「CITROEN」の文字で飾られたことがあり、
言わば大阪はパリですよ。
パリパリ。
私は大好きです。
posted by ながたさん at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | お言葉

2008年08月29日

「シナリオは下手に楽に書け」 橋本忍

「七人の侍」で黒澤明監督とタッグを組んだ
脚本の大先輩・橋本忍さんのおはなし、
BS2でやってましたので食い入るように見ました。
「七人──」の脚本作業は黒澤監督と共同、
というかコンペ方式で、
いい方を小国英雄さんが判定して採用する、
という非常にシビアなもの。
これ厳しいですよ。
私も経験有りますけど、ものっすご厳しい。
単純にパート分けしてあとで微調整、
という形式とはまるで違う。
コンテンツはなんでもそうですが
「使われない」
ということほど堪えるものはなく、
まあ言わば「存在の全否定」ですからね、
それがたとえ小刻みにもあるとハッキリ萎えます。
萎えないようにするには勝つしかないのですが、
相手黒澤明でしょう。
そらぁしんどいですよ。
それはもう、黒澤監督や小国さんに対して、
そしてこれから生まれるその作品自体に対して、
全幅の信頼を置いてないと無理です。
負けたこれも勝ったそれを生み出すためのものだ、という。
そのこともあってか、
その作業を缶詰した旅館は
囲碁・将棋の名人戦も行われるような
名旅館だそうですが、
食事持ってきた仲居さんが入り口で後ずさったそうです。
その鬼気迫る様子、
名人戦なんかの比ではないという。

そんなこんなであの大傑作が生まれたそうですが
(その方式はそれ以降やってないそうです。
 あまりに辛くて)
映画作りを志す若人に向かって冒頭の言葉。
なんとなれば、
人は子供の頃から勉強する。
なにかを教わる。たくさんの知識を得る。
しかし創造力についてはなにも勉強していない。
だから、自分の批判力は自分の創造力を遥かに上回ってしまう。
だから、自分を批判していてはシナリオなんか書けない。
極端に言うとシナリオは、
批判力をゼロにした時にはじめて生まれる。
そう、下手に、楽に書け、と。

胸のつかえがストーンと落ちる名言でした。
そうですよ、そう、
これはシナリオばかりではありませんよ、
仕事全部そうです。
特に昨今、情報を手に入れることは極めて簡単になりましたから、
批判力>>>創造力
の不等号は大きくなり続けていると言えましょう。
そして創造力は、実践でしか身につかない。
批判力を鍛えている暇があったら、
ひとつでも手を動かして創造力を高めていくことが大切です!

黒澤監督の言葉
「シナリオはマラソンだ、遠く見ちゃいかん。
 目の前だけ見て走れ」
も、おっしゃるとおりです(笑)
ノベルゲームのシナリオといいますと
生テキスト1MBなどはザラでして、
シナリオ用の200字詰め原稿用紙にすると
4000枚ぐらいにはなるでしょうな。
ぞっとするでしょ?
今日もシナリオライター達はですね、
男子マラソン佐藤選手のようにヨレヨレになりながら
ゴールテープを目指しているのです!
よよよよよ。
下手に楽に、なんて意識しなくてもずっとそうです……

余談ですが、
橋本さんの足元はメレルのJungleMocであり、
頭にはサンバイザー、
なぜ脚本屋はみな、服装が垢抜けないのか(笑)
こないだBSアニメ夜話(「イデオン」の回)に出てた
松崎健一さんもツナギみたいな「永遠のSF少年」調だったし、
そう脚本といえば三谷幸喜さんなんかいつも
無理矢理な服着てキャラ作ってますよね。
思いますに、まず職人的要素あるので
「作業着」的になるのがひとつと、
もうひとつは、
脚本はやっぱり「人を描くもの」でして、
(小説は「自分を描くもの」。ちょっと大雑把ですが)
自分を「透明」にしておこう、
という無意識の現れかもしれません。
結構違いますよ、脚本と小説は。
サッカーでいうとボランチとFWぐらい。
同じといえば同じだけど違うといえば全然違う。
ながたも服装の垢抜け無さなら誰にも負けておらず、
「いいんだ、むしろ垢抜けて無い方がいいんだ」
とうなずきまくっていたTV前でござる。
posted by ながたさん at 18:06| Comment(4) | TrackBack(1) | お言葉